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2016年12月18日 (日)

慰めの神にかなう悔い改め 2コリント7:5-13 2016.12.18

今年も残すところあと2週間。この頃になると一年を振り返る番組や、茶の間を楽しませるバラエティー番組が増えてくるように感じます。その一方で、お正月の番組が撮られているということで、一年の締めくくりと新しい年への期待が交錯する時となっています。
 教会歴では、本日が待降節第4主日、いよいよ主イエス様のご降誕を祝う降誕祭、クリスマスとなります。今年はクリスマスが日曜日ということで、4本+1本のクランツした方がいいのかな、それともろうそくの色を変えてみようか、などと考えているところです。
 日本では、除夜の鐘をついて煩悩を払い、清い清々しい気持ちで新年を迎えようとする人たちで、年末年始は大勢の人たちが神社仏閣に詣でます。確かにこの一年を振り返り、反省をし、新しい年への願いを立てるということは、誰もがする良いことではないかと思います。
 開かれている聖書のキーワードは、悔い改め、という言葉です。これは反省するとか、懺悔するとかという意味ではありません。元の意味は、方向を変えるということです。聖書の背景でいえば、自分勝手な人生を改め、神様の方に向いて進んでいくことです。滅びの道ではなく、救いの道に方向を変えるのです。ギリシャ語では、メタノイアと言います。この文字を反対から読むと、アイノタメ、愛のため、と読めますね。自己中心を捨てて、愛の神様の方向を向き、自分も愛をいただいて他の人にその愛を分かち合う者とされることです。この悔い改めは、悲しんで死に至るものと、神の御心にかなった悲しみのゆえに救いに至る悔い改めがあるとパウロは語っています。悔い改めは方向転換ですから、慣れ親しんだ方向から見ると、悲しいことでしょう。しかしそれは、救いと命に至るものなのです。神様があわれみ深い方であり、私たちを慰めてくださる方であることを知れば、悔い改めは、悲しみだけでは終わらないのです。
 結婚式だけでなく、葬儀でも歌われる讃美歌に、「いつくしみ深き友なるイエスは」があります。この作詞者である、ジョセフスクライブンは、二度にわたってフィアンセを失い、そのことを知ったお母さんは悲しみに暮れてしまうという経験をしました。しかし彼は、そのお母さんを慰めるために手紙を書き、この詩を添えたのです。お母さんは、本当に慰められたと思います。この詩を発見した友人が曲をつけ、教会で歌ったところ多くの人たちが感動し、そして讃美歌集に納められたということです。日本には、唱歌として明治の時代に伝えられましたが、讃美歌だったのですね。
 深い悲しみがあっても、慰め主である神様から来る悔い改めは、私たちをそこから救い、神と人を愛するために生きるものへと変えられるのです。

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