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2016年12月25日 (日)

キリスト者の富 2コリント8:6-9  2016.12.25

主イエスキリストのご降誕、クリスマス、おめでとうございます。この年の恵みを数え、新しい年に思いを向ける本年最後の一週間となりました。ある経済研究所のレポートによると、「今年の景気は持ち直し。先行きは緩やかな回復が続く」とありました。あなたの実感としては、いかがでしょうか。
 豊かさは経済だけによらないということは、いうまでもありません。はたして私たちは、今本当に豊かになり幸福なのだろうかと、思わず考えずにはおられない一年でした。
 今年度の年間賛美は、2コリント8:9が中心になっています。「主は富んでおられたのに、あなた方のために貧しくなられました。それは、あなた方が、キリストの貧しさのよって富む者となるためです。」このみ言葉の文脈は、飢饉の中に置かれたエルサレム教会の信徒を支援するために、マケドニア教会の人たちが精いっぱいの献金をした、という出来事に基づいています。彼らは潤沢な富を持っていたのではなく、むしろ迫害の中で厳しい生活を送り、乏しい中で精いっぱいの献金をした、何よりも彼らの献金は神様にささげられたものであることを、パウロは知っていたのでした。お金に関わるまさにこの世の出来事を、イエス様の物語に重ね合わせ聖なる物語ととしている文脈なのです。
 あなたの生活、物語は、イエス様の物語に重ね合わされていますか。信仰と生活が分離されてはいませんか。聖書に書かれていることはきれいごとで、私の生活はそんなものじゃあやっていけない、などと言ってはいませんか。大切なことは、切れば肉が現れ、血を流すような生活の中にこそ、イエス様のみ言葉がその傷をいやしてくださることを経験することです。
 キリストの貧しさとは、その誕生、生涯、そして最期に表されています。身重になったマリヤを気遣って泊めてくれる宿はなく、家畜小屋の片隅の飼い葉おけに生まれたばかりのイエスは寝かされました。最期は十字架につけられ、人々の晒し者になって、極悪人として死なれたのです。
「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」ピリピ2:6-8とみ言葉にある通りです。 主のご降誕、クリスマスの神秘がここにあります。このことによって、イエスを信じる者は救われ、大いなる富をいただいたのです。貧しさの中にこそ富む道があることを、イエスキリストは示されたのでした。
 イエスより短い生涯を送った八木重吉の「貧しき信徒」という詩集に、次のような一句がありました。
神の道:自分が/この着物さえも脱ぬいで/乞食こじきのようになって/神の道にしたがわなくてもよいのか/かんがえの末は必ずここへくる 
 教員として希望に満たされた生活の中で結核に冒され、与えられた二人の子供たちを幼くして失い、早逝した重吉でしたが、残された詩集を持って今日もキリストにある祝福を証ししているのです。キリスト者の富は、私たちのために生まれてくださった、イエスキリストご自身であることを、降誕祭のこの日、豊かに味わいたいと思います。
 神様の祝福がありますように。


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