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2017年1月15日 (日)

豊かに蒔くものは  2コリント9:6-15 2017.1.15

 新年あけまして、おめでとうございます。
 本日の箇所は、引き続き献金を扱ったパウロの言葉です。年明け早々に、礼拝説教でもお金の話なのか、と引いてしまう人もあるかもしれません。しかし、私たちの現実の生活に経済は欠かすことのできない要素であり、お買い物を初め、お金に関わることは外せませんね。私もだんだん老眼が進んできて、ヒャッキンのメガネをあちらこちらにおいているのですが、さすがに不便を感じ、ついに遠近両用のメガネを「初売り」で買いました。0が二つも多くなってしまいました。
 それはともかく、この箇所は、マケドニア教会の人たちが飢饉の苦しみにあるエルサレム教会の人たちを助ける献金を精いっぱいささげた物語から始まり、私たちの献金や経済生活についても適応できる、大切なことを教えている個所です。献金は神様への献げものであり、誰からも強制されるのではなく、私たち一人一人の自発的なものであり、心から喜んでなされるものです。具体的な金額は書かれていませんが、あることの必要のために、自分のできる精いっぱいの献金であることが勧められています。
 ここでは「蒔く」という言葉が使われています。蒔くものであれば、いつの日か刈り取ること、収穫の時があるのです。失うのではなく、時が来れば得ることができるのです。献金は、お金を失うことではないのです。後の日に、豊かな収穫が期待できるのです。ですから、ケチってはならないのですね。それは、文字通り財産が増え、経済的にも物質的にも祝福されることとなります。しかしながら、経済的に貧しくなってもなお豊かにされることがあるのです。
 落語に「三方一両損」という演目があります。3両のお金を落とした人と拾った人が、大岡裁きを受けるという内容です。3人が一両ずつ損をするという裁きが降るのですが、そこに人情を感じるほのぼのとした落語です。精いっぱいささげて、一見損をしているように見えてもなお、神様の祝福を受けることができる人は幸いです。
 また、蒔くという言葉は、聖書の中ではみ言葉の種をまく、宣教に関わる表現です。キリスト者の証しは、イエス様によって救われたことを自分の物語として隣人や他の人に語ることです。聖書を共に学ぶことは、み言葉の種まきです。キリスト者の務めは、宣教地を耕し、み言葉を蒔いていくことです。どんな労苦があっても、やがて豊かな刈り入れとなり、ともに喜ぶことができるでしょう。

「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」詩篇1265,6


 

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