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2017年2月26日 (日)

キリストを誇りとする  2コリント11:16-31  2017.2.26

本日の箇所は、コリント教会のある人達から、パウロは本当に神様によって遣わされた使徒であるのかと疑っている人たち、あるいは、パウロとその働きを非難する人たちに対して弁明している部分の続きです。
 人は、何らかの誇りを持っているものです。プライドがあるわけです。30節にあるパウロの言葉「私は自分の弱さを誇ります」というのは、どのようなことを言っているのでしょうか。
16-21

パウロを非難する人たちに対して、ここで彼は弁明しています。愚か者と言われているのなら、あえてその愚かさを逆手に取って、自慢話をし、自分がキリストの使徒であることをあらためて表明しているのです。
22

自分のルーツをたどれば民族としてはへブル人であり、ヤコブという族長が神様との戦いに勝ってイスラエルという名前に変えられたところからきている信仰を受け継ぐものであり、霊的にも民族的にもイスラエルの祖父にあたるアブラハムの子孫であるという告白です。自分はまさに神に選ばれた民であると、ここで主張しているように思われます。
23
27
ここには、パウロの経験した様々な苦しみが列挙されています。鞭打たれたことや、こぶし大から人の頭ほどの石が投げつけられこと、海の難から始まる様々な災難が、27節までに書かれています。
28-29
節このような外から来ることのほかに、パウロには教会への心遣いがありました。身を焼かれるような痛みとはどれほどのことだったでしょうか。
30

そしてここに、パウロは「私は自分の弱さを誇ります」というのです。ネガティブなことを誇りとする、その究極ですね。1コリント1:31「まさしく、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。」自分の弱さを誇るというのは、内にいますキリストを誇ることなのです。キリスト様によって、こんなダメなものが救われ、神の家族として教会に加えられたのです。ということです。


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