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2017年3月19日 (日)

真の礼拝者として ヨハネ4:21-26  2017.3.19

               

丘の上記念会堂には、二つの庭があります。一つは復活の庭で、これから桜が咲けば園遊会と銘打って、お花見ができます。もう一つは日本庭園で、求道者の庭と名付けられています。 42:1 「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」のみ言葉が基になっています。本日の聖書箇所は、一人の女性が井戸に水を汲みに来てイエス様と出会った場面です。のどの渇きを潤す水を求めてきたのですが、もう二度と組みくる必要のない、いのちの水を湧き出させてくださるお方との出会いの物語です。

人は祈り、神様を礼拝するものでした。アダムとエバが造られたとき、彼らは神様と会話することができる存在として描かれています。これは、他の生き物と違い、人はその霊において神と交わることができる、すなわち祈ることができる存在であることを示している物語です。イエス様はここで、時間や場所、民族や性別など、そのようなことに限られない礼拝があること、そしてそれにふさわしい真の礼拝者を神様は求めておられることを示されたのでした。

今日の礼拝のように、ともに集まって礼拝するようになったのは、教会が生まれてからでした。教会とは、ギリシャ語でエクレシアといい、「神によって召し出され、集められた者」という意味です。それは全キリスト教会に共通した理解です。

イエス様を信じて集まっている人々は、キリスト者、クリスチャンと呼ばれるようになりました。そして集まる時間も、場所も変わってきました。集まる時間、すなわち礼拝をささげる時は週の最後の日でなく、最初の日になっていったのです。場所も、神殿中心ではなく、ユダヤ人の会堂や家になってきました。十字架で死なれ、葬られたイエス様が、週の最初の日によみがえられたので、その復活を記念して集まるようになったのです。ですからその日を主の日、あるいは聖日と呼び、復活の主であるイエスキリスト様を礼拝する、これがメインになったのです。

ローマ12:1
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。


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