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2017年4月23日 (日)

荒みから慰めへ  ヨハネ20:26-31  2017.4.23

本日の聖書箇所は、主イエスの復活から1週間たった日のできごとです。この出来事の中心にいる人物は、トマスという12弟子の一人です。後に「疑り深いトマス」と言われるようになるのですが、そのように言われるゆえんがここに記されています。イエスが復活され、初めて弟子たちにその姿を現したとき、彼はそこに居合わせませんでした。どんなに、ペテロやヨハネたちが「私たちは主を見た」と言っても信じなかったのです。そして「自分の目で、イエスが打たれた釘の痕、刺された槍の跡を見、自分の手でその傷にふれなければ、決して信じない」と言っていたからでした。
 この時、トマスの信仰は荒んでいたのです。イエス様と共にいた慰めと祝福の時は去って、彼の心は不信仰に陥り、全く荒んでいたのでした。信仰生活におけるすさみとは、神様の存在を遠くに感じる、あるいは神から見放されたと感じることです。神などいない、ということもあるでしょう。そして霊的なことでなく、この世の出来事や欲望に支配されてしまいます。その結果不安、不信、悲しさなど否定的な感情が起こります。信仰生活には慰めや恵みがありますが、荒みの時もあるのです。大切なのは、その時に正しく対処できることです。イグナチオ・デ・ロヨラの「霊操」には、荒みに対処する4つのことが書かれています。簡単にまとめると、第1は、決断したことを変更しないこと、第2は、決断を変えないというだけでなく、その決断をより一層熱心に行うこと、第3は、神様を遠くに思ったり、神の存在を感じられなくても、神がおられるとを意識すること。そして第4は、希望と忍耐を持つことです。
 
荒みから慰めへと変えられていく力があります。それは、上からのものであり、御子イエスが願い、父なる神が遣わしてくださる慰め主、もう一人の助け主である、聖霊なる神様でした。心荒んでガリラヤに戻った弟子たちは、主の約束を思い出して、エルサレムに帰ってきたのです。そこで彼は、聖霊が降り、聖霊に満たされることを待っていたのでした。
 主イエスは、弟子たちの不信仰を嘆かれ、また責められたのですが、彼らを見放したのではありません。偉大なミッションを授けたのです。全世界に出ていって、福音を宣べ伝える、というミッションです。
インドには、トマスという名前の男性が多いそうです。疑り深いトマスは宣教師としてインドに行き、そこで殉教したと言われているからです。トマスも他の弟子たちと同じように復活の証人としての生涯を全うしたのではないのでしょうか。私たちも心のガリラヤに、嵐が吹く時があるのです。そんな者に、イエスを信じていのちを得るようにと、今も語られている、これが主の復活1週間後に語られたメッセージなのです。


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