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2017年6月11日 (日)

イエスキリストの物語 へブル1:1-4  2017.6.11

谷川俊太郎さんの「生きる」という詩をもとにできた、一冊の本があります。後半には、座談会が収められており、一人の参加者が、谷川さんに「神というのはどのような位置づけなんですか?」という問いかけをしていました。それに対して真摯に答えておられるわけですが、その中に「一神教というものを最初から信じたことはない。全世界に。人間の力を超えた何かが偏在しているということは、終始一貫信じているんだけど、それを絵には描きたくないのね。」という文章がありました。神様はまさにサムシンググレイトで、人間の力をあらゆる面で超えたお方です。かみさまはその存在を、自然界や歴史の中で表しています。しかしこれだけでは、はっきりと神様がどのような方を知ることはできません。本日のテキストにある、「預言者を通して~語られた」ことによって、私たちは神様がどのような方()を知ることができます。また、「御子によって私たちに語られた」ということによって、イエスキリストの物語こそ、神様をはっきり知ることのできる道であることがわかるのです。かつてイエス様は弟子たち「わたしを見た者は、父を見たのです」(ヨハネ14:9)と言われた通りです。
 イエス様のユニークな物語の始まりは、その誕生です。イエスは、処女マリヤから人として生まれました。通常はおこらないことですが、全人類をその罪から救うためには、このような誕生が必要だったのです。すなわち、一般の人と同じように生まれたものでは、全人類の罪をその身におい、贖いの犠牲となることはできなかったのです。
 第2のユニークネスは、イエスキリストの死です。単なる犠牲ではなく、罪がないのに、罪を負わされた、それも全人類の罪を負い、その贖いを成し遂げるためでした。
 そして第3のユニークネスは、復活です。私たちの世界では、乙女からの誕生や十字架の死以上に、理解不能なことでしょう。しかしこの復活こそ、罪の贖いの完成を証しし、私たちに死んでも生きるという希望を与えるものなのです。これがなければキリスト教はありえない、というものなのです。
 キリスト者の目標は、イエスキリストの姿に似せられることです。皆さんは、イエス様が好きですか。嫌いではない、というレベルから、大好き!というレベルに上げましょう。くだんの谷川俊太郎さんは先ほど紹介した言葉に続けて「キリストそのものは素晴らしい人だったと思う」と言われているのです。このお方にこそ目を留めて、イエス様の物語に、私たちの物語を重ね合わせていきたいものです。


へブル12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいな
  さい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものと
  もせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

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