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2017年6月

2017年6月25日 (日)

キリスト者呼ばれる  使徒11:19-26  2017.6.25

                             現在のキリスト教会のルーツは、エルサレムに生まれた教会にあり、1世紀に誕生したいわゆる初代教会にあると言って、間違いではありません。福音自由教会の信徒の手引きにも、福音自由教会の起源は初代教会にさかのぼると書いてあります。 
 本日のテキストになっているアンテオケの教会も、初代教会の一つでした。アンテオケは地中海に面する都市で、1世紀にはローマ帝国の属国の一つ、シリヤの都市でした。当時の人口は約50万人、第3番目の大きな町で、現在のトルコ共和国のアンティオキアという街にあたります。 主イエスキリストの福音は、イエス様ご自身によって宣べ伝えられました。

マルコ1:14,15ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」


 使徒の働きを読むと、福音はユダヤ人だけでなく、異邦人にも広まっていった様子に気がつくでしょう。主イエス様の救いは、民族に限定されず、あらゆる人たちに開かれている、神様の恵みなのです。特に、パウロが改心してからは、彼の伝道によって福音が異邦人にも伝えられ、後にアンテオケの教会は、異邦人伝道の拠点にもなっていきました。
 このアンデオケアで、イエスを信じともに集まっている人たちは、キリスト者と呼ばれるようになりました。新約聖書の原語であるギリシャ語では、クリスティアノスと読むことができます。ノスという言葉ついて~に倣う者ということから、クリスティアノスとは、キリストに倣うものと、いう意味になります。今日において、キリストに倣うとは、神様に造られた本来の人間の姿に立ち返ることをも意味します。それは、良い管理人としてこの地を治め、主人を喜ばせ、自分も一緒に喜ぶことです。キリスト者として生きるということは、自分の賜物を発見し、社会と神様のために生かすことです。


 
1ペテロ4:10それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。


 

2017年6月11日 (日)

イエスキリストの物語 へブル1:1-4  2017.6.11

谷川俊太郎さんの「生きる」という詩をもとにできた、一冊の本があります。後半には、座談会が収められており、一人の参加者が、谷川さんに「神というのはどのような位置づけなんですか?」という問いかけをしていました。それに対して真摯に答えておられるわけですが、その中に「一神教というものを最初から信じたことはない。全世界に。人間の力を超えた何かが偏在しているということは、終始一貫信じているんだけど、それを絵には描きたくないのね。」という文章がありました。神様はまさにサムシンググレイトで、人間の力をあらゆる面で超えたお方です。かみさまはその存在を、自然界や歴史の中で表しています。しかしこれだけでは、はっきりと神様がどのような方を知ることはできません。本日のテキストにある、「預言者を通して~語られた」ことによって、私たちは神様がどのような方()を知ることができます。また、「御子によって私たちに語られた」ということによって、イエスキリストの物語こそ、神様をはっきり知ることのできる道であることがわかるのです。かつてイエス様は弟子たち「わたしを見た者は、父を見たのです」(ヨハネ14:9)と言われた通りです。
 イエス様のユニークな物語の始まりは、その誕生です。イエスは、処女マリヤから人として生まれました。通常はおこらないことですが、全人類をその罪から救うためには、このような誕生が必要だったのです。すなわち、一般の人と同じように生まれたものでは、全人類の罪をその身におい、贖いの犠牲となることはできなかったのです。
 第2のユニークネスは、イエスキリストの死です。単なる犠牲ではなく、罪がないのに、罪を負わされた、それも全人類の罪を負い、その贖いを成し遂げるためでした。
 そして第3のユニークネスは、復活です。私たちの世界では、乙女からの誕生や十字架の死以上に、理解不能なことでしょう。しかしこの復活こそ、罪の贖いの完成を証しし、私たちに死んでも生きるという希望を与えるものなのです。これがなければキリスト教はありえない、というものなのです。
 キリスト者の目標は、イエスキリストの姿に似せられることです。皆さんは、イエス様が好きですか。嫌いではない、というレベルから、大好き!というレベルに上げましょう。くだんの谷川俊太郎さんは先ほど紹介した言葉に続けて「キリストそのものは素晴らしい人だったと思う」と言われているのです。このお方にこそ目を留めて、イエス様の物語に、私たちの物語を重ね合わせていきたいものです。


へブル12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいな
  さい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものと
  もせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

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