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2017年7月23日 (日)

イエスをだれというか  マタイ10:13-20  2017.7.23

         

   

 本日のテキストの場所は、ピリポカイザリヤの地方とありました。この街と、丘の上会堂が建てられている所を思いめぐらすと、この場所はとても面白いところだと思います。この街は、ヘレニズム時代からパネイオン(ギリシア神話のパン神の聖所)がある場所で、アラビア語でパニアスと呼ばれていました。ヘロデ大王の息子ヘロデ・ピリポが町を整備して、地中海沿岸のカイザリヤと区別するために、カイサレエイアー・テース・ピリプー(ピリポのカイザリヤ)と呼んだのです。聖書では、ピリポ・カイザリヤということになっています。ざっくりいえば、ここは、ギリシャローマ神話に出てくる神々をまつったところであり、皇帝崇拝が色濃く残るところだったのです。
 さて、江戸時代には、教会前の通り(慈恩寺通)に面した田中家の庭に高札場がありました。日常的なことを告知する高札のほかに、切支丹に関する高札が立てられていたのです。キリシタン高札の2枚が、ロビーに掲示されています。その1枚は、正徳元年、1711年の高札です。これは、伴天連やイルマンをとらえた時の褒賞金が最も高額になった時の高札で、今でいえば、宣教師や牧師をとらえたり、彼らの居場所を教えたりすれば、たっぷりとご褒美がもらえた、ということです。もう一枚は、慶応43月の高札です。1868年、明治元年、つまり国が新しくなっていくまさにその時に立てられたものです。その内容は、キリスト教は邪宗であり、キリストを信じることは国家によって禁じられている、この二つのことは、新しい時代になっても変わらない、という告知です。高札は明治6年に撤去されるのですが、撤去の表向きの理由は、このような高札によって情報を伝達するのは旧くなったので改める、というものでした。キリスト教は禁止、というお触れは出しましたが、今後はキリスト教も認める、という通達は今日まで一度も出てはいないのです。それどころか、日本人の心情には、キリスト教は邪教であるという思いが、どこかにまだ刻まれているように思うのです。
 しかしそのようなところに教会でき、高札ならぬみ言葉が掲げられ、教会の鐘が時を知らせているのです。
教会は、この地にあって、祈りの場として開かれているのです。
 そして彼らに言われた。「わたしの家は祈りの家と呼ばれる」と書いてある」   
                           マタイ21:13a


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