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2017年8月 6日 (日)

剣か鋤か  イザヤ2:1-5 2017.8.6

 ある米国の戦略家が、「徹底的に戦争をしつくさなければ、本当の平和など訪れない」と言ったそうです。二つ原爆が投下され、無条件降伏をした私たちは、まさに地球上のどの国にも勝って、平和を求める国民であると思います。
 しかしながら、今の時代、戦後レジームを脱却して、また戦前に戻ってしまう危うさを感じます。


 本日のテキストは、イスラエルの歴史の中で、南王国ユダで活躍した預言者、イザヤによるみ言葉です。彼がいた時代は、北王国イスラエルが滅び、南王国ユダもアッシリヤ、それを滅ぼしたバビロニア帝国の圧力を受けている時代でした。平和な時代ではなく、争いの絶えない時だったのです。そのような中で記されている、4節の言葉は、遠い昔の教訓ではなく、今の時代にこそ聞くべき神様のことばです。「主は、国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。」
 
 かつてイエス様は、ゲッセマネの園で、ローマの兵士たちにつかまりました。その時、イエスを守るために弟子の一人が剣を抜いて、兵士に打ちかかったのですが、主は叫ばれました。マタイ 26:52「 そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。」」と。そして5節には、「私たちも主の光に歩もう」と言われています。戦争は、闇の世界です。しかし、平和は人々に光と希望を与えます。
 
 今の時代は、どちらを取るかと言われれば、多くの人や国が、剣と槍だ、と答えるでしょう。イエスの言われた平和の道は、人が土をいじり、汗を流して使う、鋤や鎌を使う営みにあるのです。

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