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2017年9月10日 (日)

主に望みをかける  哀歌3:22-24

本日のテキストの背景には、イエスラエルの歴史があします。サウロ、ダビデによって統一されたイスラエルの国が北と南に分裂し、その二つに分かれた国が、両方とも他の強大な国によって滅ぼされてしまったのでした。

22節にある「私たちが滅び失せなかった」ということは、直接的には、戦争の惨禍から生き延びた、ともいえるものです。
 22b-23a節は、戦争やバビロン捕囚から生かされてきたことを、神様の恵みとあわれみによると感じ、歌っているところです。
 23-24節は、この神様に対して、自分の全存在をかけて、神の真実さとそれを受けることの幸いを歌っています。「主を待ち望む」ということは、自分が滅びるのではないかという危機的な時でも、神様の助けがあることを信じつつ、懸命に一日一日をいきていくことの告白なのです。

8月下旬に東北被災地支援として、気仙沼を訪れました。そこで目にしたのは、気仙沼大島大橋と言われる全長356メートルの橋で、今年の3月にかけられたといいます。これから橋の工事や、インフラの整備が行われ、開通するのは2019年の3月の予定だそうです。半世紀以上前に、本土と大島を結ぶ橋を架けるという構想があったのですが、大震災に襲われてしまいました。しかし街の人たちは、この事業を復興のシンボルと位置づけ、ようやくここまで来たのです。私は「明日にかける橋」の歌を思い起こしました。私の持っているCDの歌詞カードによれば、サビの部分は「荒れた海にかける橋のように、僕はこの身を横たえよう」とありました。まさに、気仙沼の光景ではありませんか!本土と大島を結ぶ橋が架けられた、ということは、復興の象徴であり、2年後の完成を待ち望む希望の橋となったのです。 

聖書から見れば、イエスキリストが私たちに明日に導いてくれる、希望の橋となってくださったのです。その方を待ち望んで、今週も一日一日を大切にしていきたいですね。

1コリント13:13 
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。



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