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2017年9月17日 (日)

神のことばを聞け  エゼキエル37:1-14

エゼキエルが見た幻は、谷間に散乱する骨、それも渇いた骨でした。彼がいたのは、バビロン捕囚で捕えられた、今日風に言えば移民のキャンプ場のような所でした。うち続く戦乱や自然災害によって死に、葬られることなくそこに打ち捨てられた人たちを思い起こさせる言葉です。この骨に向かって、預言の言葉を語った時、骨と骨が互いに音を立ててつながり、筋がつき、肉がつき、皮膚がその上を覆ったので。しかし彼らはまだ、生き返ってはいませんでした。そこに四方から息が吹いてきて、彼らの中に入ると、その骨は生き返った、というのです。その数がどれほどであったかわかりませんが、非常に多くの集団で、谷間全部が埋め尽くされるほどではなかったでしょうか。

ドライボーンズ」という黒人霊歌に、この光景が歌われています。ここに訳されている、霊と息は同じ聖書の言葉です。神の霊が、人を生かすのですね。そしてもう一つ、人を生かすものを取り上げなくてはなりません。それはくだんのドライボーンにも歌われている「おお神のことばを聞け」ということです。イエス様の言われた、言葉を引用してみましょう。マタイ4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」

聖書は神様の息、霊によって書かれた書物です。霊感を受けた人たちが、それぞれの時代と文化のなかで、この書を書いたのです。キリスト教2000年の歴史の中で、聖書がいかに人々にいのちを与えたか、生きる希望を与えたか、それは言うまでもないでしょう。

神様のことばが、本当に生きたものとなるには、信仰が必要です。敢えて例えれば、信仰は私たちと聖書を結びつける、接着剤のようなものですね。

ヘブル 4:2 福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。

エゼキエルが見た谷間の骨のように枯れきって、ばらばらな私たちの生活が、信仰によって組み合わさる時、真に生きるものとされることを味わいたいものです。

秋の日差しの中で、神様に生かされていることを味わってこの1週間を過ごしてまいりましょう。


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