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2017年10月22日 (日)

天に宝を持つ マルコ10:17-22  2017.10.22

この物語は、マタイ19:1630、ルカ18:1830にも描かれています。マルコの福音書では、この一人のある人が青年であり、多くの財産、富を持っていたところから、この物語は富める青年の物語と言われています。彼の質問は、17節にあるとおり、人が神様に救われるためには、何をしたらよいか、ということでした。私たちも、どうしたら天国に行けるか、仏教的に言えば、何をしたら極楽往生できるか、ということです。
 この青年に対するイエス様の最終的な答えは、21節にある、「あなたの持っている財産全部を売り払って、わたしについてきなさい」というものででした。この物語全体の文脈は、イエスの弟子となることです。彼は幼い時からりっぽを守り、道徳的に正しく生きてきたはずなのに、財産を売り払うことも、貧しい人への施しもできず、何よりもイエスの弟子として歩むことができなかったのです。まことに悲しい結末でした。あなたはこの物語をどのように読むでしょうか。
 この物語で、他の福音書にも記されているのは、「天に宝を持つ」ということです。
この個所は、新改訳第3版のように、「蓄える」という訳もあります。しかし新改訳2017のように「持つ」と訳したほうが、ギリシャ語原文に近いと思われます。蓄えるというと何かをして手に入れ、それを天国に預けておく、というようなイメージですが、 持つというと、地上でしたことがそのまま天で反映されるような感じを受けます。天とは、神の支配しておられる領域、神の臨在を感じられる世界です。天国に行けるという将来のことというより、キリスト者がこの地上にいるということとイコールであるといってもいいものです。しかも、私たちはすでに、素晴らしい宝を持っているというのです。


2コリント4:7  私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。


 
過日、ブラジルから来られた妻のお姉さん夫妻とともに、奥日光の秋を見に行ってまいりました。その帰りに、富弘美術館に立ち寄りました。ブラジルのサンパウロでも富弘展が開かれ、多くの人が観に行かれ、ぜひ本人が生まれ育ったところにある美術館に行ってみたい、ということでした。ご存知のように、富弘さんは体育の教師とした赴任しましたが、大きなけがをして、体の自由を奪われた方です。しかし富弘さんの絵と詩、ことばは、多くの人の心を打ち、希望や勇気を与えています。体の自由を失ってしまいましたが、キリストというかけがえのない宝を得たからではないでしょうか。
 彼もまさに、天に宝を持つ人であると思いました。


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