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2017年12月24日 (日)

ベツレヘムに生まれる  ルカ2:1-20  2017.12.24

主イエスの御降誕、おめでとうございます。

 

本日の説教題は「エルサレムではなく、ベツレヘムに生まれる」としたかったのですが、少々長くなり、説教題看板に入りきらないのではないかということで、掲題のようになりました。
 イエスは救い主として、また、系図によればダビデ王の子孫として生まれました。そしてダビデの町に生まれる、ということでした。旧約聖書では、ダビデの町と言えばイスラエルの都エルサレムのことです。ルカ2:4を原語の順番で並べると、「上った、ヨセフは、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのダビデの町に、そこはベツレヘムとよばれる」という風になるでしょうか。この個所の朗読を聞いていた人、あるいは読んでいたユダヤ人は、ちょっと「あれっ?」と思ったのではないでしょうか。つまり、ダビデの町は立派なエルムであって、あんな小さな町ではない、と思っていたのです。しかし実際羊飼いたちは、小さな町ベツレヘムへと急ぎました。新約聖書では、ダビデの生まれた町ベツレヘムがダビデの町と言われています。しかもイエスが寝かされていたのは、家畜小屋の飼い葉桶です。ダビデ王の子孫どころか、人が寝かせられるようなところではないでしょう。しかしそのようなところに、救い主はお生まれになったのです。クリスマスの神秘の一つは、このコントラストにあります。日本語でいえば、詫びでありさびの世界です。
 先週、ELC英会話クラスのクリスマス会をいたしました。その時、ある生徒さんが話してくれました。彼がイタリアに旅をしたとき、木製のネイティビティーをたくさん見たそうです。その中に、飼い葉おけがあり、その作品に惹かれたというのです。そこには、羊飼いも博士たちも動物もいません、飼い葉おけの中にはイエス様すらいないのです。飼い葉桶だけであったことが、良かったというのです。この話を聞いたもう一人の受講生が、これは悔い改め、リペンタンスですね、と言いました。私たちの心はいろいろな強欲でいっぱいになっている、でも悔い改めて空っぽになったところに、イエスが来てくださる、これがクリスマスのメッセージではないか、ということでした。まさにその通りですね。
 イエスは都でもなく、立派なベッドでもなく、小さな田舎の町に生まれ、汚い飼い葉桶に寝かされていた。貧しさの中にこそ、大きな富があることの象徴ですね。 

2コリント8:9
 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。

 

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