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2017年12月10日 (日)

御子を待つ備え  マルコ1:1-8  2017.12.10

 本日のテキストであるマルコの福音書は、イエスキリストの誕生の物語を描いていません。同じ福音書でも、マタイとルカには、降誕の物語が記されています。イエスの活動をテンポよく描き、その生涯を読者によくわからせようとしているように思います。
 13節には、預言書が引用されています。マラキ3:1とイザヤ40:3からの引用です。このヨハネ誕生の物語は、ルカ1:580に詳しく書かれています。長い間子供の生まれなかった祭司ザカリヤ夫妻に、男の子が生まれ、その誕生とイエスの母マリヤのかかわりが記されているのです。
 4-8節には、このヨハネの働きが書かれています。彼は荒野に住み、野人のような生活をしていたようです。彼は、ヨルダン川で、人々に悔い改めのバプテスマを授けていたのです。主イエスも、このヨハネからバプテスマを受けました。その様子は911に描かれており、他の福音書にも記されていることです。ヨハネは、イエスの先立ち、露払いとして現れたのでした。それは、悔い改めによって心を空っぽにし、救い主である主イエスを受け入れる備えをさせるためだったのです。待降節は基本的に救い主の誕生を心待ちにする喜びの日々ですが、悔い改めも含まれている期間と言えるでしょう。
 イエスの誕生に欠かすことのできない人物と言えば、それは言うまでもなくマリヤです。エリサベツが妊娠6か月を過ぎたころ、マリヤ立って、彼女のもとに向かいます。たがいにあいさつを交わしあとに言ったマリヤの言葉は、マグニフィカト、マリヤの賛歌と言われています。ルカ1:4655に記されています。ここでは、マリヤは普通の女性で、救い主の到来を待ち望んでいる者であることが告白されています。天地を造られた神様は、卑しい女性であるとして自らを低くするマリヤに目を留められたのです。ここに、彼女の信仰がよくあらわされています。
 来年度は、礼拝と交わりに集中する、という伝道牧会方針が示されています。神様を礼拝するという縦の線と、お互いに兄弟姉妹として共有する横の線、合わせれば十字架になるこの二つを大切にしようということです。その姿勢の一つが、マリヤにあります。キリストがおられる、私たちを見守ってくださっている、と意識することです。2017年の待降節、マリヤの持っていた御子を待つ備えを、私たちの備えとさせていただきたいのです。

 

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