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2018年1月 7日 (日)

福音の新しい気づき  マルコ2:18-22  2018.1.7

 新年、主にあって、あけましておめでとうございます。本年も日曜日の礼拝説教をアップしてまいりますので、よろしくお願いいたします。

主イエスの降誕物語は、ご存知の通りです。30歳から、神の国の福音を伝える公生涯に入られました。賛美歌にあるように、イエスは食べる暇もないほど人々に仕えられ、貧しい人や弱い人達とともにいました。12人の弟子を召し、彼らを育成して全世界に送り出したのでした。しかし昔からの律法を厳格に守っている人たちからは、イエスはモーセの律法をないがしろにする者であるとの批判を受けました。しかし私たちの主は、律法を廃棄するためではなく、その成就のために来られたのです。

マタ 5:17 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
22:36-40イエスをためそうとして、尋ねた。「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

 
これらことによって、イエスは律法の中心である、神を愛し人を愛する生涯を送った方であることがわかりますね。

 本日のテキストで上げられている、三つのたとえ、断食、着物の継あて、革袋が語っていることは何でしょうか。一言でいえば、古いものと新しいものは一緒にできない、ということになると思います。新しい生き方は、もはや古いやり方では抑えることができない、それ自体で力を持っているのです。現代でも、○○改革といって、現代に合う生活様式に改めていく試みがあるとおりです。これは実は、福音の理解の仕方にも言えるのです。古いものはすべて駄目である、価値がないと言っているのではありません。その理解の仕方が相変わらず古いと、その価値を生かすことができないということなのです。福音は、イエス様を信じたら罪から救われて天国行きが約束されるので良い知らせである、という理解だけでは不十分です。
 過日、ミレーの「種まく人」の本物を美術館でまじかで観ることができました。種を蒔く人が、斜面の畑に右足を出して踏ん張り、右手を大きく後ろに引いて、まさにこれから種を蒔く場面でした。今まで感じたことのない力強さを、この絵から感じたのです。私にとっては、新しい気づきでした。
 福音の持つ素晴らしさを改めて知る時、
肉の支配ではない、聖霊に導かれた新しい日々が始まるのです。
 
ガラテヤ5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

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