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2018年1月11日 (木)

神を愛し、愛される  ホセア6:1-6  2018.1.14

人は、どれほど神様を知ることができるのでしょうか。また、どのような神様を知ろうとしているのでしょうか。ひょっとすると、どこまでいっても、人は神様など十分に知ることはできないのかもしれません。他の人から見れば素晴らしい作品を作ったと思われるような人であっても、当人にとってはまだまだ十分ではない、満足のいくものではないと言われる境地に近いのではないかと思います。ところが神様のほうでは、ご自分のことをすべて明らかにしていると言っているのですから、なんとも面白いことです。ローマ1:19,20それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。禅語の、「明暦歴露堂々」に通じるみ言葉です。
 本日のテキストであるホセア書の著者ホセアは、北王国の滅亡を前にして神に仕えた人でした。不思議なのは、彼の妻と子供たちに対する言及です。彼の妻は姦淫という罪を犯したものであり、彼の子供の中には誰が父親かわからない者もいたようです。ホセアは、そのような罪深い妻でしたが、愛して受け入れ、私のもとから去ることがないようにと忠告を与えるような人でした。これは彼の実際生活であったとともに、神とこの時代の人々の関係を喩えたものでもあったのです。人は、自分の好みの人であったり、自分を愛してくれる人ならば、愛することができるでしょう。しかし、自分を裏切ったり、いわゆるタイプでない人を愛することができるでしょうか。霊的な姦淫である、偶像礼拝や神様を忘れて他の国や目に見える強大な国を頼りとしたイスラエルの人々は、滅んでもよい国だったのかもしれません。しかし神はそのような人々を哀れみ、熱い心を持っておられたのでした。
ホセア118わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。とあるとおりです。
 人はこの神様の哀れみを知って、神様に立ち返る、神を知ることに喜びを見出す必要があります。自分の達しえたところで、神を知る。それは知識や体験ではなく、砕かれた心です。その心をもって、神を礼拝することこそ、神に愛され、そして神を愛していることの証となるのです。


 ピリピ3:16  それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準とし    
    て、進むべきです。
 詩篇51:17神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなた
    は、それをさげすまれません。
 ローマ12:1そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あ
    なたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、
    聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な
    礼拝です。

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