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2018年2月 4日 (日)

主を求めて生きよ  アモス5:4-15  2018.2.4

   10年近く前、若くして自らの命を絶った女性の葬儀を執り行いました。司式者の私も、大変つらい時でした。その時の説教題は「生きよ」というものでした。テキストは、詩篇23篇でした。愛する娘を突然失った両親、家族へのメッセージです。自分が死にたいほどの悲しみの中に置かれても、娘の後を追って自分も死にたいというような状況でも、なお神様は「生きよ」と言ってくださっている、そのことを伝えたかったからでした。
 本日のテキストの著者アモスは、もともと羊を飼う者であり、イチジク桑の木を栽培していました。しかし神様の召しを受けて預言者として活動した人でした。神様の招きがあったら、避けてはいけません。舞台は北王国イスラエル、ヤロブアム王の時代でした。この時代、北王国は領土を広げ、繁栄していたようです。しかし富める者は、貧しい者を虐げ、神様の正義に生きているとは言えないような人たちでした。かつて、神がおられることを悟ったヤコブの滞在したベテル、交通の要所として栄えたベエル・シェバ、そしてサムエルやサウル王ともかかわりのあったギルガルは、偶像礼拝の街となっていたのです。繁栄を遂げている北王国ではありましたが、少しずつ王国崩壊の足音が聞こえてくるようなときだったのです。
 アモスの語ったメッセージは明確です。それは、主を求めて生きよ、というものでした。これは、4:12bの「あなたはあなたの神に会う備えをせよ」に対応する言葉です。人々は、主のためではなく、自分のために生きていたのでした。しかしそれは滅びの道であり、行きつくところは、死だったのです。私たちの求めるべき主、神様は、オリオン座やスバル座のある、この天地を造られたお方です(8)。そして強い者を打ち砕き、不正を行う者を嫌われるお方です(9-12)。人の力で、正義を行うことはできません。義なる神様によって、人は正しい道を歩むことができるのです。 
 さて、現代の私たちの生きる姿はどうでしょうか。
 新約聖書には「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。」ピリピ2:21とのみ言葉があります。これは、自分自身や自国のみの平和と繁栄を求める、今の時代を表すみ言葉であると思います。私たちの主は言われました。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」マタイ6:33
 神のおられるところ、そこが神の国です。どんな悲しみや苦しみがあっても、又栄えることができていても、主を求めるのでなければ、本当に「生きる」とは言えないのではないでしょうか。

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