フォト
無料ブログはココログ

« キリストによって建て上げられる教会  エペソ2:19-22 2018.3.11 | トップページ | 復活祭の後に »

2018年3月25日 (日)

神の宮を見て  マルコ19:1-11 2018.3.25

本日から受難週(聖週間ともいう)となります。聖書の記述によれば、週の最初の日イエス様は子ろばに乗ってエルサレムに入り、人々は木の枝(棕櫚、ナツメヤシの葉)を打ち振って迎えました。このことから本日は、パームサンデーといわれています。 
 この記事は、共観福音書に書かれているのですが、マルコには、エルサレムに入ったイエスが宮を見て回った後、ベタニアに帰った、という記述があります。翌日は再びエルサレムに上り、そこで神殿の商売人や両替人たちを追い出すという「宮きよめ」をされるのですから、この一文は何か意味を含んでいるように感じます。今朝は、そんなことを心に留めて、み言葉を思い巡らしてまいりましょう。


 イエス様が都エルサレムを目指して歩いていたことは、いくつかの記述によって知ることができます。
ルカ9:51には、ご自分の死を見つめ、行くべき道をしっかり見ていたイエスの姿が描かれています。「さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、」そしていよいよエルサレムが近づいてきたとき、イエスは都を見て泣かれたというのです。ルカ19:4144「エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。~」栄華を窮めた都がやがて滅びてしまう、しかしそのことを知らない人々がいる、その悲しみを知っているが故の、涙だったのでしょう。そして本日の個所に続く月曜日には、エルサレムの神殿にいた商売人や両替人を追い出したという記事、宮きよめの出来事が記されています。エルサレムに入り、神殿の様子をじっと見つめていたイエスの目には、ルカの記述と同じように、涙があったのではないでしょうか。たしかに、神殿で礼拝をささげるために来た人は、礼拝のために両替をする必要があり、いけにえの動物を買う必要がありました。しかし商売人の中には、不正があり、不当な利益を上げている人たちがいたのです。その様子をイエスは「強盗の巣にした」(17)と言われたのです。


 イエスを信じた者は、聖霊の宿る神の宮です。礼拝と祈りこそ、大切であると信じています。しかしその心は、どうでしょうか。私利私欲にかられ、自分勝手な生活を信仰の生活であると勘違いしてはいないでしょうか。悲しみや苦しみの中にも、キリストがともにいてくださるという、約束を信じているでしょうか。自分のからだを、強盗の巣にしてはいないでしょうか。聖霊の宮である私たちを見てくださっているイエス様の前で、私たちも真実な歩みを続けて行きたいのです。

« キリストによって建て上げられる教会  エペソ2:19-22 2018.3.11 | トップページ | 復活祭の後に »

礼拝メッセージ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1425983/73165660

この記事へのトラックバック一覧です: 神の宮を見て  マルコ19:1-11 2018.3.25:

« キリストによって建て上げられる教会  エペソ2:19-22 2018.3.11 | トップページ | 復活祭の後に »