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2018年7月

2018年7月29日 (日)

神の愛の証人  ヨハネ13:31-35  2018.7.29

先週は、丘の上会堂で、共に礼拝をささげることができました。大変暑い日だったので、次回は涼しい時のほうが良いかもしれませんね。礼拝後の交わりタイム、イスラエル在住の姉妹によるスライド上映が、好評でした。
 本日の説教は、先週の流れを受けています。キリスト者にとって、神様が愛の方である、お互いに愛し合うということは当たり前のことで、あまり関心を払っていないかもしれません。あるいは食傷気味で、「また神の愛ですか~?」といった感じで取られる方もあるかもしれませんね。
 主イエスは、私たちの生活のあらゆる面で、神の栄光を表すようにと言われました。そして、神を愛すること、自分を大切にするように隣人を愛することが、律法の中心であるともいわれたのです。その主イエスは、語ったことを実際に行ったのです!神の愛の現れるところであり、愛の証人であったのです。
 さて、私たちの生活には、神の愛が見られるでしょうか?とっさにホームに落ちた人を助けて表彰されたり、西日本の豪雨災害でもボートを出して多くの方を助けたという方がありました。どれも素晴らしいことです。しかしそれらはある意味、非日常的な出来事です。毎日の特別に変わったことのない生活の中で、神様の愛を現しているでしょうか?人の目に着かないようなところでこそ、神様の愛が現されるのではないでしょうか。
 過日「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が、世界遺産に登録されました。これから多くの人たちが観光に訪れることでしょう。聖堂を見て、その美しさに感動されることでしょう。しかしここはかつて、多くのキリシタンの血が流され、迫害の厳しさの中にあって命がけで信仰を守った人たちがいたところです。カトリック教会では、彼らを殉教者と呼んでいるのです。証人という聖書の言葉は、殉教、殉教者という言葉から来ています。ですから、主イエス様を証すること、神の愛を表すことにおいては、同じなのですね。普段の生活の中でこそ、神の愛の証人の歩みがあるのです。

 1ヨハネ4:8  愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。

2018年7月22日 (日)

神の愛の現れるところ  ヨハネ13:31-35  2017.7.22

本日は、丘の上会堂にて合同礼拝です。今年度のテーマは、礼拝と交わりですが、本日の午後は交わりをみなさんで持ちましょう、ということになっております。
 交わり、聖書ではコイノニアという言葉が使われていますが、共有する、分かち合うという意味があります。交わり、コイノニアは初代教会の姿であり、今日まで受け継がれているキリスト者の営みです。交わりというと、すぐに食事をしたり、お茶を飲みながらお話をする、といったことが思い浮かびますが、それは一面にすぎません。使徒の働きに描かれ、パウロの書簡に見る教会の交わりの姿は、実に多様です。食事の配給や、孤児や未亡人の世話をしたり、災害でダメージを受けた教会のために援助物資や献金を送ったりしています。福音が伝えられていくことも、交わりです。
 それらすべては、神様の愛の現れです。神様の愛は、実に教会にあらわされたのです。逆に言えば、愛が見られない集まりは、どんなに立派な会堂やプログラムがあっても、教会とは言えないのではないでしょうか?神様の愛は、何よりもまず、イエスキリストの十字架にあらわされました。私たちを愛するがゆえに、神の御子が命をなげうって、罪から救ってくださったのです。そして、私たち自身の中に、神様の愛が現されています。まず、神が私たちを愛してくださったからです。

 ローマ5:8しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。

 
 
なぜ神の愛は、このように教会、十字架、そしてイエスを信じる者にあらわされたのでしょうか?それは、神様ご自身が愛の交わりを持っているお方だからです。お一人の神ではあるが、父として、子として、そして聖霊のとしての位格(人格といいたいが、人ではないので位格という)が親しい交わりをもっておられるのです。これはまさに、神秘です。人の理解を超えた、深い神の愛が現されているのです。
 新しい週、あなたはどのようにして、この神様の愛を表していかれるでしょうか。暑くて大変な今年の夏です。ちょっと辛い、夏ですね。私たちの交わりの中に神の愛が現される時、周りの人達はそこに集っているのはキリストの弟子であることに気がつくのです。そうして神の国の福音は、広がっていくのです。

2018年7月 1日 (日)

心を尽くして  マラキ4:1-6  2018.7.1

いよいよ旧約聖書、最後の書となりました。神の国の福音は、新約聖書だけではなく、旧約聖書も含んで豊かな世界が展開されています。このように聖書を読むことができる幸を、まずありがたく思います。
 預言者マラキがどのような人物であるのかは、他の小預言書の著者と同じように、本文から推測する以外にはありません。紀元前500年代から400年代の後半に活動した預言者と思われます。本書は、神様と民との対話形式で書かれているのが、特徴的です。
 本日のテキストの中心のみ言葉は、4節と6節です。かつて、出エジプトの時、モーセがホレブ(シナイ山)で授かった律法は十戒というもので、民の生活を導き、神様への礼拝の指針となる言葉です。しかし時代が下るにしたがってこの律法は忘れられたり、その逆に文字に縛られてその本意から外れて人々の生活をかえって苦しめるようになってしまいました。そこで私たちの主は、あらためて律法の中心は何か、神様が本当に願っていることは何かを明らかに示されました。そして、ご自分のもとに律法から来る重荷を下ろすように、語ってくださったのです(マタイ11:28)。律法の中心とは、心を尽くして神を愛し、又自分を愛するように、他の人を大切にすることでした(マタイ22:36-40)。大河ドラマの主人公西郷さんは「敬天愛人」と言いましたが、このみ言葉を知っていたのかもしれませんね。律法の中心、すなわち書かれた神の言葉である聖書の中心は、この一語に集約されると言ってよいでしょう。
 そしてこの律法をご自分の生涯で表してくださったイエス様こそが、私たちの目当てです。この時代、あなたの置かれているところで、ご自分の心は今どこを向いていますか?いろいろなこと、様々なことがあっても、イエス様から目を離さないこと、イエスに信頼申し上げることです。これまで、預言者の言葉を紐解いてきました。しかしこの終わりの時代には、御子イエスを通して父なる神様は語っておられるのです(へブル1:1-2)
 心とは、私たちの人格の中心に他なりません。新しい週も、私たちの人生のど真ん中に、主イエス様をお迎えして過ごしてまいりましょう。

 

引用聖句
マタイ11:28  すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

 

マタイ22:36-40  「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが、重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」

 

へブル1:1-2 神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。

 

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