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2018年8月

2018年8月26日 (日)

勇気を出しなさい  ヨハネ16:29-33  2018.8.26

本日の聖書個所は、弟子たちと過ごした晩餐の席で語られた、訣別の説教ともいえる部分の最後となります。17章は大祭司としての祈りです。文字通り、主の祈りといえるでしょう。
 ここで語られていることは、これから自分は十字架に渡され一人になり、弟子たちは散らされていく、それでもなお恐れたり心配しないで勇気を出しなさい、ということです。いろいろな喩をもってご自分のことや、神の国について語ってこられたイエスは、ここに至って、はっきりとお話になったのです。そういわれて弟子たちは、初めてイエスを信じたのではありません。30節にある「わかりました」という言葉の意味は、イエスが神の子救い主であることを、弟子たちは腑に落とすことができた、ということでしょう。
 イエスの言葉の中で、「散らされて」という言葉があります。イエスが処刑されると、弟子たちの多くは家に帰ったようです。ガリラヤの漁師だったペテロたちは、又網を打つものとなっていましたが、湖畔で復活の主と出会います。使徒の働きを見ると、初代教会のクリスチャンたちは、迫害によって散らされていきました。しかしその散らされたところで、み言葉を宣べ伝えていたのです。
 
使徒8:14  サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。…散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。
 
1世紀の後半、ユダヤ人の一部は、ローマ帝国からの独立を訴えてエルサレムを占拠し、それが戦争となります(ユダヤ戦争)。結末は、70年にエルサレムがローマ軍によって占領され、神殿は破壊され、73年にマサダの砦が陥落して、ローマの勝利に終わります。以後、ユダヤ人は全世界に散らされていきました。20世紀になっても、なお迫害を受けていた民族です。彼らは、散らされたところで共同体を作り、シナゴグ(会堂)を建てて礼拝を守り続けています。
 キリスト者も散らされましたが、それぞれのところで共同体(教会)を立ち上げ、み言葉を宣べ伝え、今日に至っています。しかし教会は、それぞれの地域、国々の文化や習慣の中で、信仰を育んでいったのです。ですから、一言でキリスト教会といっても、実に多様です。福音は、一民族に限るものではなく、世界に広がるいのちを最初から持っていたからです。様々な困難の中でも、イエスによって与えられ「勇気を出しなさい」という言葉に励まされてきたのです。

2018年8月 5日 (日)

イエスを信じる者の姿  ヨハネ15:11-17  2018.8.5

祈り会の学びのテキストとして、ハンス・ビュルキ師の「主の弟子となるための交わり」という本を使っています。ビュルキ師はすでに召された方ですが、キリスト者の霊性に関して、大きな影響を与えた方であったと思います。この本の中に「信仰の働き-能動的か、受動的か」という章がありました。神様を信じている人の信仰の方向は、二者択一、あるいはどちらかを排除するのではなく、その両面があるというのが、師の言おうとされたことであると思います。
 たしかに、私がイエス様を信じた時のことを思い返すと、その両面があったと思います。高校3年生の終わりころ、ある日曜日の礼拝後に、通っていた教会の牧師の個人伝道によって、「はい、イエスを信じます」と言ったのはわたしの決断でした。しかしのちに思い返すと、その日に限って「今日、イエス様を信じたい」という思いが強くなっていたのです。また聖餐式では、礼拝に集っている人の中でまだイエス様を信じていない人が信じることができるように、との祈りがささげられていたのです。これらのことを思うと、神様が私を信仰に導いてくださったのであって、自分はそれを知らずに受け入れただけなのだ、ということもできるのです。
 本日のテキストの16節は、まさにこのことを裏付けるみ言葉であり、イエスを信じる者が生涯貫く信仰の方向、信仰生活を送る姿勢にもなっているのです。神様がしてくださることがある、そして人もなすべきことがある、そのすべては実を結ぶためなのです。ブドウが実をつけるのは、房が枝に結びつき、枝は幹に結びついているからだ、というのは誰でも知っています。もちろん、しっかりと根を張っていなければならないことは、いうまでもありません。これは、私たちがイエスに結びついていることの必要を語る、イラストレーションです。文脈から言えば、この実とは、イエス様がおっしゃった互いに愛し合うという生活、愛という実のことでしょう。
 「桃栗三年柿八年、柚子の大馬鹿十八年」という言葉あるそうです。短いスパンで人を見るのではなく、長い目で見なさいということを教えている言葉でもあるそうです。丘の上にある柚子の木もまさにその通りで、ずっと実をつけなかったのですが、今年は青い実をたくさんつけているのです!うれしくなりました。枝を落としたり、根を切ったりしましたが、そのまま置いておきました。イエス様に結ばれていること、それが信仰者の姿であり、実を結ぶ人生となるのです。

ルカ1:38
  マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたの
  おことばどおり、この身になりますように。」

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