フォト
無料ブログはココログ

« 一つに合うまで  ヨハネ17:20-26  2018.9.2 | トップページ | 主の定め  詩篇2:1-12  2018.10.14 »

2018年9月30日 (日)

流れのほとりに  詩篇1:1-6  2018.9.30

詩人の谷川俊太郎さんが、書いておられます。「そう、詩はわからなくても、たべもののようにあじわうことができるんだ。詩を読むと、こころがひろがる。詩をこえにだすと、からだがよろこぶ。」(詩ってなんだろう ちくま文庫) 

本日から、詩篇を説教テキストとして取り上げたいと思っております。新約聖書からイエス様の物語も扱いたいので、毎週というわけではありませんが。詩篇は全部で150篇ありますから、すべてを取り上げると何年かかるやら?どうして詩篇を取り上げるのかと問われれば、「詩篇を読みたくなったから、語りたくなったから」としか言えないような気がいたします。詩人は、書きたくなったから詩を書くのだそうです。それと同じかもしれません。

この世には、優れた注解書や、詩篇をテキストとした説教集が出版されています。実際に説教を聞かれた方もあるでしょう。そのような中ですが、改めて一篇一篇のみ言葉を味わってまいりましょう。

詩篇第1篇には表題がありません。全詩篇の始まりとして、書かれたものと思われます。新改訳聖書第3版と新改訳聖書2017を比べると、3節の翻訳に違いがあります。第3版では「水路のそばに植わった木のようだ」とありますが、2017では「流れのほとりに植えられた木」となっています。他の日本語訳聖書でも、このようになっています。聖書の舞台となっている地方の多くは、荒野です。岩が転がり、茶色で乾燥した地なのです。しかしそこに水の流れがある、小さな川があり、命がはぐくまれている。そんな流れのほとりに木が植えられ、季節が巡って来れば実がなり、葉は枯れないというのです。いわゆる、常緑樹ですね。代表的なのは、ナツメヤシの木でしょうか。

これは人生を表す表現であり、旧約聖書にある族長の一人ヨセフは、「実を結ぶ若枝、泉のほとりの、実を結ぶ若枝。その枝は垣を越える。」(創世記49:22)と言われています。水がそばにあることによって、木は生きるのです。私たちに人間も、水がなければ生きていくことができません。そして神様の前に正しく生きるには、霊の水が必要なのです。それはイエス様と結びついていること、イエス様をいただくこと、水を飲むようにしてイエス様のみ言葉を味わうことです。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:38) 

時に、心が渇いてしまうことがあります。何をしても満たされないこともあるでしょう。そのような時こそ、詩篇の言葉を口ずさんでみましょう。心だけでなく、あなたのからだも喜ぶことでしょう。

« 一つに合うまで  ヨハネ17:20-26  2018.9.2 | トップページ | 主の定め  詩篇2:1-12  2018.10.14 »

礼拝メッセージ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1425983/74290225

この記事へのトラックバック一覧です: 流れのほとりに  詩篇1:1-6  2018.9.30:

« 一つに合うまで  ヨハネ17:20-26  2018.9.2 | トップページ | 主の定め  詩篇2:1-12  2018.10.14 »