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2018年9月 1日 (土)

一つに合うまで  ヨハネ17:20-26  2018.9.2

人は、祈ることができ、また祈ってもらえる存在です。大祭司でもあるイエス様のとりなしの祈りを、今朝は心に留めさせていただきましょう。
 教会の週報に「一週一祷」という欄があり、教会の各委員会の祈りの課題が載っています。どの教会の週報でも、このような祈りの課題が書かれています。
 キリスト者の務めの一つは、とりなしの祈りであると思います。万民祭司を掲げるプロテスタント教会においては、特にこのことは大切です。祈るのをやめるのは罪であるとさえ、聖書に書かれているのです(1サムエル12:23)。ハンス・ビュルキ師は、「主の弟子となるための交わり」という本の中で、真の一致のためのとりなしの祈りの重要性を説いています。その中に「互いのために祈るとは、自分を他の人の立場に移し替え、自分をその人とひとつにし、その人とともに、またその人のために自分を神にささげることです」と書いておられます。
 イエス様の祈りは、まさにとりなしの祈りとして、自分を弟子たちの立場に置き、彼らのために祈られた祈りでした。まずイエスは、弟子たちがこの世にいながらこの世のものではないことを明言します。世界史の中で今日まで、否今日も、キリスト者や教会が迫害を受けてきました。潜伏キリシタンの教会群が世界遺産に登録されましたが、これはキリスト者がこの世にいながらこの世から嫌わた者であることを思い起こす遺産である、と思います。そのような彼らを守ってくださるようにと、母親にも似た思いをもってイエスがとりなしていてくださるのです。
 そして彼らが一つなることを、願っておられるです。16章にある説教の後半では、弟子たちが散らされるとの預言がありました。散らされた弟子たち、今日でいえば、世界中にいるキリスト者が一つになるように、というのが主の願いなのです。しかしその一つになるということは、組織や活動を一つにするというのではありません。三位一体なる神様が、調和を持った交わりを持ちながら一つであるように、教会も一つになりなさい、ということです。霊の一致がまず最初にあるのです。互いの違いをみとめ、受けれつつ、同じキリスト者としてそれぞれの営みをする、それが神の国に生きる者の務めです。
 やがて天国において、私たちは一つに合わされ、完全な一致に入れられるのです。

1ペテロ3:8 
最後に言います。みな、一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり、謙虚でありなさい。

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