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2018年12月 2日 (日)

荒野で神を信じる  ガラテヤ3:7-14  2018.12.2

降誕祭、第1主日を迎えました。イエスの誕生の物語は、マタイとルカの福音書に書かれています。新約聖書、1ページ目の第1(マタイ1:1)は、「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエスキリストの系図」とあります。三浦綾子さんの小説「塩苅峠」には、このマタイから聖書を読み始めた主人公がいつの間にか眠ってしまうというシーンが描くように、私たちにはわかりにくい人の名前が続いている、あまり面白くない箇所であると言えます。

しかし、「アブラハムの子孫」という書き出しこそ、イエス様が人としてお生まれになったことを表す重要な書き出しなのです。アブラハムは、民族で言えば、ユダヤ人、アラブ人の先祖となります。本日のテキストの次にある4:22には「アブラハムには二人の子があって、ひとりは女奴隷から、ひとりは自由の女から生まれた」とあります。アブラハムには長く子供がいなかったので、彼に仕えている女によって男子を設けます。それがイシュマエルであり、アラブ人の先祖と言われています。妻であるサラにようやく子供が与えられ、イサクと名づけられました。ユダヤ人の先祖である、ということです。宗教的にみれば、かなり大雑把な言い方で申し訳ないのですが、ユダヤ人はユダヤ教徒、アラブ人はイスラム教徒といえます。イスラム教徒にとってアブラハムは、偉大な預言者の一人です。

アブラハムは荒野で神の声を聞き、神を信じ、それが彼の義と認められるところとなりました(6節、創世記15:6)。この神を信じる人、言い換えれば、人としてこられたイエスキリストを信じる人キリスト者は、霊的にアブラハムの子孫と言えます。それがこのガラテヤ3章で語られていることであり(14)、ローマ人への手紙4章でも言われていることです(ローマ4:16)。アブラハムを共通の父としているユダヤ教徒、イスラムの人達、そしてキリスト教徒は、このことを出発点として親しい交わり、平和な関係を築けるのではないかと思います。

それはひとまず置いておくとして、ヨハネの語るクリスマスを見てみましょう。ヨハネはイエスの誕生を物語ではなく、その意味、神様からのメッセージを書いています。イエスはまことの光であり、言葉であり、そして命を与える方です。このイエスを信じる者は、人の思いからではなく神によって生まれた者であり、神の子供とされるというメッセージです。あなたにも誕生の物語があり、家族の歴史があるでしょう。受け入れがたいこともあるかもしれません。アブラハムが旅をした荒野とは、神の言葉を聞く場所です。荒野のような人生であっても、まことの言葉であるイエスがおられるのです。イエスキリスト誕生の物語は、このイエスに言葉を聞いて信じる、私たちの物語に重なっていくのです。

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