フォト
無料ブログはココログ

« 神の目に留まる者 ルカ1:39-56  2018.12.9 | トップページ | 小さい者であることを悟る  詩篇8:1-9  2019.1.6 »

2018年12月30日 (日)

癒されて新しい年を迎える  詩篇6:1-10  2018.12.30

この時期になると、無病息災家内安全商売繁盛を願う風景が見られます。大掃除をして家を清めて、すがすがしい気持ちで新年を迎えたいとは、誰もが願うことでしょう。

詩篇6篇は、作者がとてもつらい状況に置かれており、神の怒りが自分に降ったかのように感じている詩篇です。そのような中で、癒しを求め、救われることを切に願っているのです。この詩篇は、7つの悔い改めの詩篇の一つに分類されています。ポイントは、悔い改めるということです。いわば、こころの大掃除です。しかし汚れを落とすというのではなく、神様のとの関係を元の正しい関係に戻し、神様に従って歩む決心をするということです。

「わたしを癒してください」とあることから、詩人は大きな病を抱えていたのかもしれません(2)。ヘブル語聖書で病気を表す言葉の一つは、「打つ」「触れる」という言葉から派生したものです。病気という概念の最も基本的なものは、(神様も含め)何かに打たれるということだと考えられます。ですから、病が重ければ重いほど、何かの原因で自分は打ちのめされたのではないかと、考えてしまうのは当然のことでしょう。だれでも、無病息災を願います。病をおっていたら、癒されて元気になることを願うのは、世の東西を問わず、全世界で共通のことでしょう。病が癒されるということは、悪い患部が治るということよりも、私たちを打つことすらできる神様との関係が正されることであり、それが完全な回復であると思います。

またこの詩人は、敵対する者や悪を行う者を恐れていたと思われます(78)。彼に危害を加える人がいたのでしょうか。聖書では、最後の敵は死である、と言っています(1コリント15:26)。とすると、死の恐れから解放されるのは、神様との正しい関係を取り戻さなければできないこととなります。人が病み、そして死ぬ存在であるのは、突き詰めれば神様との正しい関係を失った罪びとであることにその原因があるのです。

その解決は、人として生まれてくださり、十字架上で死なれたイエスにあります。イエスは人の罪を負った方でした。イエスが受けられた傷こそが、わたしたちを癒すのです。1ペテロ2:24「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。」

癒されて新しい年を迎えるとは、悔い改めて神様との正しい関係を回復して、新しい年を歩むということに他ならないのです。2019年も、豊かな祝福がありますように。

« 神の目に留まる者 ルカ1:39-56  2018.12.9 | トップページ | 小さい者であることを悟る  詩篇8:1-9  2019.1.6 »

礼拝メッセージ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1425983/74846340

この記事へのトラックバック一覧です: 癒されて新しい年を迎える  詩篇6:1-10  2018.12.30:

« 神の目に留まる者 ルカ1:39-56  2018.12.9 | トップページ | 小さい者であることを悟る  詩篇8:1-9  2019.1.6 »