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2019年1月27日 (日)

神はいない、と言う者  詩篇14:1-7  2019.1.27

40年近く前に発行された森本哲郎氏の本に「そして文明は歩む」というのがあります。神の数で語った宗教文明論ともいうような内容で、大変興味深く、今も時々見ることがあります。森本氏によれば、以下のように分類しています。

ユダヤ教、イスラム教→一の文化

易経(中国)→二の文化

キリスト教→三の文化

インド→無の文化

日本→万(よろず)の文化

キリスト教を元としているヨーロッパ、アメリカの文明を、一ではなく、三としているところが面白いのですが、今日はおいておきましょう。日本では、確かにあらゆるものが神となる、神羅万象あらゆるところに神がおられる、といった感覚であると思います。もっとも、禅宗は突き詰めると無の世界、神はいないとする世界観ですが、そのようなことにも捕らわれないとするのですから、独特の世界観だと思います。

詩篇の14篇では、神はいないと心の中で言う者は、愚か者であるとまず言っています。宣言しているような感じです。これは、知的なことで神の存在を否定しているのではありません。神がおられるのに、その神に心を向けない、全く関知しないで生きている、そういうことが愚かなことであると言っているのです。ここで言う神は、お正月の教会の床の間に掛けられていた「神」の軸が現している、神です。創造主であり、全能の方であり、一人でありながら三つの位格を持つお方です。そのご性質は聖であり、愛に富んだ方でもあるのです。

神がご覧になる世界の人たちは、皆が離れて行っています(3)。この言葉は、わき道にそれるという意味で、新約聖書にあてはめれば、的外れという意味に近いと思います。聖書で言う罪はまさに的外れということであり、ローマ3:23にある「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、」というみ言葉を思い起こさせます。

神様を信じていると言っても、心の中で神はいない、と言ってしまうことがあるのです。信仰が、板についていないのですね。信仰と不信仰の間を揺れ動くことがあって、それは当然のことなのです。神に問い、信仰を探っていく、そのような中で、神様に深く根差していくことができるのです。神はいないと言う者の中で、こんなひどい状況を観ても神は何も言わないのか、と問う中で、キリスト者の信仰は深められていくのです。

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