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2019年2月 3日 (日)

神の臨在  詩篇15:1-5  2019.2.3

教会に集うようになって、同じような年代の青年達と軽井沢でキャンプを行いました。開会の礼拝で歌われたのが、新聖歌316でした。その歌詞の第3節に「いかにきよき交わりぞや、妨ぐるものなし、昼も夜も臨在あり、依り頼むわれらに」とありました。この賛美に感動し、語られた説教(青年担当執事のIさんが、山室軍平の生涯からお話ししてくれた)によって、神様がともにいてくださること、その神様に自分をおまかせして歩むことがいかに大切なことか、ということを教えられた時となりました。

詩篇15篇は、14篇とは違って、神がイスラエルの民とともにいてくださること(神の臨在)をはっきりと語り、その証しとしてきよい生活があることを示しています。2節から5節には、極めて実際的な生活の勧めが記されています。「主に捨てられたものを蔑み」と4節には厳しいことが書かれていますが、心底神様に従うことの大切さを逆説的に言った言葉であると理解できます。

1節の言わんとしていることは、「幕屋」と「聖なる山」にこそ神がおられるということです。幕屋とは、イスラエルの民の行く先々で建てたテントであり、神を礼拝する場所でした。モーセによるエジプト脱出から始まる荒野を放浪している時代から始まり、カナンの地にイスラエルの部族が定着するまでの期間にありました。聖なる山とはシオンのことで、エルサレムに建てられた神殿と言ってよいでしょう。ダビデが準備をし、その子ソロモンが神殿の建築を完成させ、奏献の祈りが1列王記8章に書かれています。

幕屋も神殿も、神の臨在の象徴でした。実際には人の手で作った建物の中に神を入れることなどできないことは、ソロモンの認識しているところでした。創造主である神様は、時間や空間に制限されるお方ではありません。どこにでもおられ、神を信じる者とともにいてくださる方なのです。

イエスキリストの救いの御業によって、信者は神の宮とされています。

  1コリント6:1920.あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あ 

 なたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや

 自分自身のものではありません。あなたがたは、代価を払って買い取られたので

 す。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。

幕屋や神殿は今はありませんが、日常茶飯事にあっても神様がおられることを忘れてはならないのです。神の臨在こそが、私たちをどんな境遇にあっても支えてくださる力となるからです。

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