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2019年3月 3日 (日)

試みを受けた主  ルカ4:1-13  2019.3.3

西方教会の教会歴によれば、今週水曜日は「灰の水曜日」と言われ、これから主イエスの受けられた苦しみを覚える受難節に入ります。主の復活を祝う復活祭まで、自らの生活を吟味し、悔い改めてその実を結ぶことができれば、喜びにあふれた復活祭を迎えることができるでしょう。あなたにとって、主イエスはどのようなお方でしょうか?どのようなイメージを持っておられるでしょうか。この時期は、試みを受けた方であることに思いを向けたいと思います。

本日のテキストは、共観福音書に描かれている、荒野の誘惑の場面です。昨年のイスラエルツアーで、ヨルダン国に面したヨルダン川岸辺に下り立ちました。ヨハネ1:28「このことがあったのは、ヨルダンの川向こうのベタニアであった。ヨハネはそこでバプテスマを授けていたのである。」とあるベタニア、今日ではカスエルヤフッドと言われているところです。すぐ近くには荒野が広がっており、ガリラヤ湖の南、ヨルダン川となっていくヤルデニットよりも聖書の雰囲気を伝えている場所のように思いました。洗礼を受けたイエスは、ユダの荒野で試みを受けました。水や食べ物を絶って、まったく一人になるという40日間でした。空腹の極みの時に、悪魔が三つの問いをもってイエスを試みたという場面です。有名な「人はパンだけで生きるのではない」という言葉は、この場面で語られたものでした。三つの試みを通して、イエスはみ言葉により頼み、神様を信頼していくことこそ、誘惑に打ち勝つ道であることを示されました。

イエスの生涯は、試みの連続であったと言えるでしょう。人としての苦しみ悲しみ、弟子や家族に見放されるという心の苦しみ、時の宗教指導者の手に渡され厳しく責められるという精神的肉体的苦しみ、そして最後は犯罪人として十字架につけられ、人々のあざけりを受けるという全人格否定の苦しみ、それは筆舌に尽くしがたいものであったはずです。

しかしイエスは、このような試み、苦しみをスルーすることなく、真正面から受け止め、味わわれたのです。へブル書にはこのようなイエスの姿が描かれています。  
 2:18
「イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。」 
 4:15「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。」
これらのみ言葉は、私たちの主イエスが私たちの苦しみや弱さに共感し、大祭司として父なる神にとりなしてくださっていることを示しています。このお方が、私たちの人生の同伴者なのです。この方とともに、これから始まる受難節を歩んでまいりましょう。

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