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2019年6月16日 (日)

主に信頼する  詩篇23:1-6  2019.6.16

もっともよく知られている詩篇23となりました。表題にあるように、ダビデの詩であると言われています。サウル王に召し抱えられる前、ダビデは羊を飼う人でした。彼の体験があればこそ、ここに歌われている羊と羊飼いの信頼関係がリアルに、そして美しく描かれることとなったと思います。

 この詩篇のテーマは、神への信頼です。1節に「主は私の羊飼い」とありますが、この一言がこの詩人の信仰を表しています。チイロバ牧師として知られた榎本保郎先生は、「旧約聖書11章」の中で、「主は、と言って神に望みをおくという、そこに立つことができないときには、礼拝に出ても単に守るべきものとして出ているだけで、そこには何の喜びも力もない」と解説しておられ、誰であれ神様に心底信頼することの大切さを説いています。そしてこの詩篇23は、主なる神様こそ、私たちとともにいて命を守り、祝福してくださる方であることが歌われているのです。

 主イエスもご自分と人々の関係を、羊飼いと羊にたとえておられます。「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10:11) イエス様こそが真の羊飼いである、私たちを守り導くお方なのです。ルカ15にある百匹の羊を持っていた羊飼いの喩も、良く知られていますね。

 聖書翻訳の観点から見ると、新改訳2017と第3版までの聖書では、5節にその違いが見られます。詳細は「聖書翻訳を語る-新改訳2017、何をどう変えたのか」(いのちのことば社)をご覧いただけると良いと思います。私なりにまとめると、2017による5節は、敵と私と食卓の位置関係が良くわかる訳になっていると思います。敵との距離は、自分の視界に入ってはいるがやや遠くにある、それに比べて神様が用意してくださる食卓はすぐ近くにあって、手を伸ばせば食べることができるという距離感です。その食卓に置かれている杯には溢れるほどのぶどう酒がなみなみと注がれ、お祝いの品々でふんだんに並んでいる。そして主人は、自分の頭に祝福の油を注いで大いに歓待してくれている、という光景です。敵がすぐ近くに迫っていても、もっと近くに主人である神様がいてくださるので、安心して楽しむことができる、というものです。もとより、2節にある牧場の草は、荒野の中で茂っている牧草のことであり、ふさふさした青草が生い茂る光景ではありません。水は荒野の中で、やっと見つけられるという貴重なものです。厳しい困難な中でも、神様の守りがあるのです。

私たちが荒野を行き、死の影の谷に突き落とされるような事があっても、主は私たちの側にいて、守り導き、行きべき道を示してくださる方なのです。

 

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