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2019年11月

2019年11月17日 (日)

主のあわれみによって立つ  詩篇41:1-13 2019.11.17

本詩篇の作者は、何か大きな病を負っていたと思われます。病からの癒しをうたった詩篇であると言えます。

1-3節は、病などで弱っている人を助ける人は幸いである、とうたわれています。2節の「幸せな者」は、文語訳では「福祉」となっています。福祉とは、まさに人を幸せにする働きといえます。そのような人が病になったときに、神様が守り、癒してくださるようにとの願いが書かれているのです。私たちも、そのように思うでしょう。

4-9節には、病の床にある人の闇が描かれていると言ってでしょう。ここに記されているように、必ずしもお見舞いに来てくれる人が純真な心から来ているわけではありません。ある人は義理で来ているかもしれませんし、お見舞いよりは仕事の打ち合わせで来ている人もあるでしょう。この個所では、かなりひどい悪意をもって見舞い、さらにその人の悪口を外でいうというのですから、かなり質の悪い見舞客であるわけです。このような人に見舞われた病人は、闇に突き落とされたような気持になるでしょう。あなたが人を見舞う時、本当にその人の弱さや辛さを知って、共にいようという思いを持っているでしょうか。教会の聖書通読表は、ちょうどヨブ記を読むことになっています。ここには打ちひしがれたヨブを見舞う4人の人たちが出てきますが、この詩篇に照らすと、彼らはどのような思いでヨブを尋ねたといえるでしょうか。9節は、主イエスが当局に捕縛される時に引用されているみ言葉です(ヨハネ13:18)。イエスに近くいた弟子たちでさえ、イエスを捨てて逃げ去ってしまったのでした。親しいものに見捨てられることは、大きな闇の世界です。

10-13には、病の人の癒しは、神のあわれみからくることがうたわれています。キリエ・エレイソン、主よ哀れみ給え、とは、すべて病の床にある人の祈りでしょう。神はその祈りに応えて、病の人を立たせてくれます。たとい肉体は快方しなくても、病の床に今なおあっても、神のあわれみに目を止めて心を上げることができるのです。それは、優れた修復師が、破損した美術品や文化財を修復して、よみがえらせるようなものです。修復師は、その作品にかかわるあらゆる情報を集め、その作品が生かされるように修復するといいます。神様の癒しは、たとい傷が残っていたとしても、神に造られた素晴らしい人格を回復させるものでしょう。それゆえ、真の修復師、すなわち癒し主である神を賛美せざるを得ないのです。

病になれば、医者に掛かり、薬を飲み休息をとるでしょう。そのようなことによって元気になるのでしょうが、主のあわれみを感じることによって、人は再び立つことができるのです。

2019年11月10日 (日)

人の沈黙、神の語り 詩篇39:1-13  2019.11.10

「沈黙」といえば、遠藤周作氏の同名の小説、あるいはその映画を思い浮かべる方がおられると思います。そのテーマは、激しい苦しみや痛みの中で人は祈っているのに、神は苦しむ人を助けることなく、沈黙しているだけなのか、ということであると思います。しかしそこをさらに掘り起こしていくと、かなり深い所に行くのではないかと思います。

それはさておき、このところ私たちの心を騒がす事件、あるいは自然災害が続言えます。国と国との全面戦争になるのではない方というような、脅威も感じる世界の情勢です。まさに、私たちの周りは騒がしさに満ちているのです。

本日の説教のテーマは、この騒ぎ立つ人間が沈黙して静かにすれば、神の語りかけが聞こえ、平安を受けるということです。1-3節は、徹底的にこの詩人が沈黙している様子が描かれています。口を閉ざし、言えば楽になるのに誰にも言わず、ひたすら耐えている姿です。忘れていけないのは、詩人は神の前に沈黙し、静まっているということです。これは、よく茶の湯などで引用される「和敬清寂」の寂の持つ意味といえるでしょう。 

4-6節では、人生のむなしさをうたっています。人は必ず死にます。しかし自分がどのくらい生きるのか、誰もわかりません。重い病になったときなど、あとどのくらい生きられるのか、ということはその人にとって最大の問いであり関心事でしょう。この詩人は、否定的です。「手幅」とはへブル人の長さの単位で、手の指4本を立てた横幅の長さをいいます。ここでは、人の人生は何と短いことかということを強調する表現として、使われています。

7-11で、詩人は神に訴えます。沈黙が長く深い分だけ、その訴えは激しいものだったのでしょう。神を待ち望み、神こそが救い出してくださる方であるとの告白です。11節のシミ(3版では、しみ)は何だと思いますか?これは、お肌や壁にできているものではなく、古紙を食べる小さな虫のことです。漢字では、紙魚、英語ではsilver fish というのですから、面白いですね。この虫に食べられて何が書いてあったかわからないような、むなしい人生だというのです。

12-13で、神に語ってくださるよう祈り求めています。確かに神様は語ってくださいます。自然界の中で、歴史を通して、人となってくださった神の言葉であるイエスの生涯(物語)によって、そして書かれた神の言葉聖書によって。神の語りかけを聞くのは、人の沈黙があったればこそ、なのです。イザヤ30:15  イスラエルの聖なる方、【神】である主はこう言われた。「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。」

 

 

 

 

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