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2020年2月23日 (日)

陰府の手から奪い返す方 詩篇49:1-20 2020.2.23

本日の詩篇は、死がテーマとなっています。説教の準備をする中で、お交わりのあった二人の方の訃報に接し、厳粛な思いにさせられました。

この詩篇は、どちらかというと箴言のような内容です。まさに知恵の書であり、格言、人生に対するアドバイスといっても良いかもしれません。この場合の知恵は、「を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。」(箴言1:7)とあるように、まず神を知ることから始まります。また1節に「これを聞け」とあるように、すべての人はこの知恵の言葉、聖書にしっかりと聞かくなくてはなりません。良い話だったから○○さんに聞かせてあげよう、というのではなく、まず自分自身が聞く姿勢を持つことが大切なのです。

禅語に「真光照天地」という言葉があります。これは神羅万象すべての物や営みに、神の光が隅々まで行き渡っており、人はその真の光を見ることができるという意味です。詩篇19の冒頭にある「天は神の栄光を語り告げ大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ話を伝え夜は夜へ知識を示す。」というみ言葉に置き換えることができるのです。造られた世界には、神の知恵が満ちているのです。

人間が生まれてから死に至るまでのこと、特に、人の死を考えるときに、この詩篇49の語っていることは、改めて注釈する必要のないほど、自明なことを語っています。真の光が照っているのです。自分に悪意を抱く者を恐れること(5)、人の命は尊いこと(7)、富や栄誉を持っていても死を迎えること(1218)などは、全くその通りですね。親しい兄弟であっても、よみの国から人を贖うことはできないのです。それは、フィクションの世界で描かれる物語です。

本詩篇の中心のみ言葉は、15節です。よみに下る者であっても、そこにとらわれ続けられることはないのです。よみから奪い返してくださる方がおられる、というのです。「しかし神は私のたましいを贖い出し、よみの手から私を奪い返してくださる。」これができるのは、イエスキリストに他なりません。私たちの罪をその身に負い、神の罰を受けて十字架にかかり、死なれました。それは、わたしたちをよみの中から救い出す、奪い返すためだったのです。これは、人は死んで終わりではなく、文字通り、死からのよみがえりがあることを語っています。

このイエスキリストを遣わし、世界を造られた方に心を留めることこそ、私たちが第1にしなくてはならないことなのです。

伝道12:1

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。

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