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2020年5月17日 (日)

主よ、新しくしてください 詩篇51:10-17 2020.5.17 オンライン礼拝

大凧マラソンが中止になったGW、カミュの「ペスト」を読みました。高校時代に読んだような読まなかったような、記憶があいまいな本でしたが、この時期ずいぶん出版されたようです。1947年に発表された小説で、ペストが発生してロックダウンされたアルジェリアの町で起きる出来事は、いま日本や世界で起きていることと見事に重なる、予言的な小説でもあったのだと改めて感じました。

さて本日の聖書個所は、紀元前1000年ころのイスラエル2代目の王、ダビデの犯した過ちが背景にある詩篇です。出来事の詳細は、2サムエル1112章に書かれています。ある日の夕方、ダビデ王は人妻を王宮に招き入れ、彼女が妊娠したとわかるとその夫を戦闘の最前線に送り込んで死に至らしめます。いわば姦淫と殺人の罪を犯したわけです。そのことをいさめた預言者ナタンの声に耳を傾け、神の前に罪を悔い改め、新しい人になって神と人に仕えた、というのがその出来事のあらすじです。

ダビデは、今日のイスラエル国家の礎を築いたもっとも重要な人物であり、ダビデ家の紋章が国旗に描かれているほどです。大きな過ちを犯した人でしたが、その罪を認めて砕かれ、新しくされたというところがポイントです。私たちは自分の罪や過ちを指摘された時、どのような反応をするでしょうか。

悔い改めというのは、単に自分の過ちを反省したり、懺悔することとは違います。その意味は方向転換です。ダビデは、自分は神の前に罪を犯したということを認めたのです。このことは重要です。なるほど、ダビデのような姦淫や殺人などということはしていないでしょう。しかしあなたの心は、神様に向いていますか?今回の新型コロナウイルス感染を巡って分かったのは、人間(あるいは国家)の自己中心性、リスク0を求めるあまり、自分を正しいとして他人を攻撃し、社会や交わりが分断されるということではなかったでしょうか。人の罪は生まれ落ちた時から、すべての人について回っているのです(ローマ323)。神を締め出し、自分中心になっていることこそ、罪の姿です。

しかし神は、そんな私たちを憐み、新しく造り変えてくださるお方なのです。10節にある「造り」という言葉は、創世記11にある神が天地を「創造した」ということばと同じです。「ペスト」の後半に、医師のルイーが自分の身をぽっかりと海に浮かべ、夜空を見上げる場面があります。この小説の中で、唯一ホッとする場面だと思いました。それは憐れみ深い神の懐に抱かれ、安心しきっているイメージに重なります。 どんなつらいことをも包んでくださる神の愛の中で、人は心砕かれて新しくされていくのです。 2コリント517

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