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2020年7月

2020年7月26日 (日)

結びの帯  2020.7.25,8.2 詩篇58:1-11

人の組織や集団、大きな単位では国家をまとめていく、束ねていくというのは、なかなか大変なことです。バラバラになったコードやケーブルを束ねるために結束バンドがありますが、私たちを束ねるものは何でしょうか。

1,2節には、不正を働く人の姿が描かれています。力ある者とは、社会の中で一定の高い地についている人、為政者のことでしょう。このような人たちがいつも正しいことを行っているとは限らず、不正を行って民を苦しめている姿は、古今東西、そしていつの時代にもあることです。現代に置き換えれば、どんなすぐれた法律があっても、それを執行する人たちが不正を行っていたら、人々を束ねることはできず、民は苦しむことしかできません。

3-5節は、人間の罪、生まれながらの罪人であるという現実、この姿を蛇やその毒に例えています。ローマ3:23にあるように、すべての人は神の前に罪を犯した者であり、神の基準には届いていないのです。蛇には人間のような耳がないところから、ここでは、罪人は神のことばを聞かない、他の人の声に耳を傾けない傲慢なものであることのたとえとして描かれています。心砕かれて、み言葉や他人に聞く者でありたいと思います。

6-9節は、悪を行う者に対する裁きを下すようにとの訴えです。7つの呪いの言葉が述べられている、という解説もありました。その中でも、聖書の書かれた世界と重ね合わせると、流れていく水(7)というのは、濁流のことです。ゆったりと流れていく川のようなイメージを持ちますが、イスラエルの荒野では大雨になると濁流となって周りのものを飲み込んだ大きな川となるのです。8節はちょっとドキッとする表現ですね。9節の「つむじ風で吹き払われる」という言い方と合わせて、悪者がこの世から全く消え去ってしまうことを訴えていることが分かります。詩篇作者からみれば、悪を行う者は、徹底的に滅ぼされなければならないものだったのです。

10-11は、復讐や裁きは人がすることではなく、神のなさることであることが歌われています。神は聖なる方であり、人を裁く方でもあるのです。

私たちは律法と共に、主イエス・キリストによる福音を知っています。そこには、神が私たちに与えてくださった律法の神髄があらわされています。神を愛し、自分を愛するように人を愛することです(マタイ22:37-40)。そのことを表すために、イエス自らが十字架にかかり、大きな愛を示してくださいました。私たちを束ねるのは、この神の愛であることを、心に留めましょう。

愛は結びの帯として完全なものなのです。コロサイ3:14

2020年7月 5日 (日)

苦難の中からの希望 ローマ5:1-8 2020.7.5

本日は庄和会堂での礼拝説教担当で、丘の上は来週12日なります。同じ説教の予定なので、1週間早く掲載いたします。

 

ローマ人への手紙5:111は、ローマ書の中で最も大切な個所といわれています。本日は8節までですが、ここにはキリストによる救いと、困難があっても信仰が試み受けても、なお希望のあることがはっきりと教えられています。何度も読み返し、声に出して読むことによって、この個所から語っておられる神様のメッセージを聞くことができると思います。

1-2節には、イエスキリストを信じる人、キリスト者、クリスチャンの立場が書かれています。罪人であるのに、神の前に義とされた者だというのです。これは自分の行いではなく、神様からの恵みに他なりません。その結果神と和解し、平和をいただく者となりました。日々の生活においても、またこの世を去るときに臨んでも、神のすばらしさ(栄光)を待ち望んでいくことができる者とされたのです。

3-5には、患難から忍耐へ、忍耐から練られた品性へ、そしてこの品性が希望を生み出すというプロセスが描かれています。平たく言えば、患難辛苦の中でその人の人格が磨かれていくということでしょう。誰でも苦しみはできることなら避けたいものですが、己が磨かれているのなら、降りかかってくる患難を受け止めることができるでしょう。

5b-8節には、この希望が失望に終わることがないのは、神の愛の故であると書かれています。希望が与えられ、望みを持つことができても、それが一瞬でぼしゃってしまったり、途中でついえたりすれば、失望感はより大きなものとなって私たちにダメージを与えることでしょう。しかし、このようなプロセスを通って生み出された希望は、神様の愛に支えられているので、潰えることはないのです。イエスキリストが十字架で死んで、私たちを罪の中から救い出してくださるために、ご自分の命という何物にも代えられない代価を払ってくださったのです。これを「愛」といわず、何と言ったらいいのでしょうか?1ヨハネ3:16「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」神の愛が私たちの行動の基準となっていくのです。

このことを描いた三浦綾子氏の小説が「塩狩峠」です。鉄道員であった長野政雄(小説中では信夫)さんをモデルにした小説で、映画にもなりました。長野さんのこの行動は、今も人々の命を助け、生きる希望を与え続けているのです。

コロナ禍のゆえに心がなえてしまいそうになりますが、望みをキリストにおいて、新しい週も歩んでまいりましょう。

 

 

 

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