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2020年7月 5日 (日)

苦難の中からの希望 ローマ5:1-8 2020.7.5

本日は庄和会堂での礼拝説教担当で、丘の上は来週12日なります。同じ説教の予定なので、1週間早く掲載いたします。

 

ローマ人への手紙5:111は、ローマ書の中で最も大切な個所といわれています。本日は8節までですが、ここにはキリストによる救いと、困難があっても信仰が試み受けても、なお希望のあることがはっきりと教えられています。何度も読み返し、声に出して読むことによって、この個所から語っておられる神様のメッセージを聞くことができると思います。

1-2節には、イエスキリストを信じる人、キリスト者、クリスチャンの立場が書かれています。罪人であるのに、神の前に義とされた者だというのです。これは自分の行いではなく、神様からの恵みに他なりません。その結果神と和解し、平和をいただく者となりました。日々の生活においても、またこの世を去るときに臨んでも、神のすばらしさ(栄光)を待ち望んでいくことができる者とされたのです。

3-5には、患難から忍耐へ、忍耐から練られた品性へ、そしてこの品性が希望を生み出すというプロセスが描かれています。平たく言えば、患難辛苦の中でその人の人格が磨かれていくということでしょう。誰でも苦しみはできることなら避けたいものですが、己が磨かれているのなら、降りかかってくる患難を受け止めることができるでしょう。

5b-8節には、この希望が失望に終わることがないのは、神の愛の故であると書かれています。希望が与えられ、望みを持つことができても、それが一瞬でぼしゃってしまったり、途中でついえたりすれば、失望感はより大きなものとなって私たちにダメージを与えることでしょう。しかし、このようなプロセスを通って生み出された希望は、神様の愛に支えられているので、潰えることはないのです。イエスキリストが十字架で死んで、私たちを罪の中から救い出してくださるために、ご自分の命という何物にも代えられない代価を払ってくださったのです。これを「愛」といわず、何と言ったらいいのでしょうか?1ヨハネ3:16「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」神の愛が私たちの行動の基準となっていくのです。

このことを描いた三浦綾子氏の小説が「塩狩峠」です。鉄道員であった長野政雄(小説中では信夫)さんをモデルにした小説で、映画にもなりました。長野さんのこの行動は、今も人々の命を助け、生きる希望を与え続けているのです。

コロナ禍のゆえに心がなえてしまいそうになりますが、望みをキリストにおいて、新しい週も歩んでまいりましょう。

 

 

 

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