フォト
無料ブログはココログ

礼拝メッセージ

2012年5月20日 (日)

真光照全地

広がる主のみことば 使徒1344-52

2012.5.20(皐月) NO.365  キリスト教は、今では3大宗教の一つといわれていますが、その始まりは小さなものでした。紀元1世紀のローマ帝国は、軍備によることとは言え平和であったことと、幹線網が整備されていたことが、宣教の広まりに役立ちました。

そのようなことのほかに、キリスト者や教会への迫害が、かえって主のみ言葉の宣教となってことは、之まで学んできたとおりです。特に、ユダヤ人だけではなく、異邦人にも主のみ言葉がいよいよ広く伝えられていったことが、使徒の働きに力強く描かれています。

ピシデヤのアンテオケで、町中の多くの人たちがパウロやバルナバの話を聞くために集まってきました。その様子を見たユダヤ人たちは、妬みから彼らを口ぎたなく罵りました。彼はモーセの律法を守ることによって人は救われるのであり、ユダヤ人の慣習を守る事こそ最も大切なことであると考えていたのでしょう。また、新しい人たちが自分たちの会堂に入ってくるのを、素直に受け入れられなかったのかもしれません。

そこでパウロたちは、これから異邦人の方に行くと宣言したのです。さらに主のみことばが広がりるにつれ、ユダヤ人は彼らを迫害し、ついにその地方から追い出してしまいました。すでに異邦人の方に行くと宣言していた二人は、アシのちりを払い落とし、断固とした決意を持って異邦人へと向かっていきました。

主の言葉は、最初はユダヤ人に語られました。なによりも、イエス様ご自身はユダヤ人として生まれ育ったのです。しかし主の言葉は、一民族にかぎる福音ではありませんでした。すべての人のための、救いのみ言葉なのです。47節は、パウロやバルナバが異邦人の光となることをイザヤの預言を引用して語ったものですが、イエス様こそが全世界の人々にとって真の光であり、その光を照らすためにお生まれになったのでした(ルカ2:31,32)。まさに、主イエスは「真光照全地」なのです。

御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」

歴史上、新しい宗教指導者が当時の権力者によって迫害を受けたということは、珍しいことではありません。新しいものは、つねにその時代にとって危ういものであったからです。今の私たちの国では、教会やキリスト者に対するこのような迫害はあまりないでしょう。しかし様々な困難があります。主のみことばが拒絶されることもあります。そのような中でも、かつての弟子たちが喜びと聖霊に満たされていたように、私たちも主のみ言葉が広められて多くの人たちが救われることを,祈っていきたいのです。

ピリピ1:18 

すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。

2012年5月13日 (日)

極悪非道な人は地獄行き?

恵みにととまる  使徒1313-42

物であれ思想であれ、それが初めて世に現れた時には、拒絶されるか驚きをもって受け入れられるかの、どちらかでしょう。聖書の教えであり、クリスチャンにとっては当然である「イエスを信じる者は誰でも救われる」との教えが初めて地中海世界に伝えられたのは、パウロの伝道の旅を通してでした。

シリヤのアンテオケから出発したパウロの一行は、キプロス島を出てペルガへ到着しました。そこで助手として同行していたヨハネは、アンテオケに戻ってしまいました。その理由については何も記されておりませんが、後にこの出来事が、パウロとバルナバの間に激しい反目を生む原因となります(使徒1536-41)。どのような困難があっても宣教の働きを放棄してはいけないのですが、主にある仲間が離れていくようなことが起きるのも、事実です。宣教におけるこのようなつらい出来事をも神様が許容しておられ、後にこのようなことも益としてくださることを信じることが、大切です。

14節に「しかし」とあるように、このようなことが起きても、伝道の旅は続けられました。ピシデヤのアンテオケでは安息日に会堂に入り、パウロは促されて立ち上がり、集った人たちに説教をしたのです。16-41までの説教は、三つの部分からなっていると言えるでしょう。第1の区分は16-25で、ユダヤ人の知っている歴史を振り返り、救い主の出現について語っています。第2の区分は26-37で、その救い主こそがイエス様であり、このことは旧約聖書に書かれている神様の御心であることを詩篇やイザヤ書を引用して語っています。そして第338-41では、このイエス様を信じることを勧めています。聴衆には神を敬う異邦人もいたでしょうが、まずは同胞に語りかけるパウロの思いやりを感じます。

この説教の中心は、39節です。「信じる者はみな、この方によって、解放されるのです」ということです。この「解放される」とは直訳すれば「義と認められる」ということで、パウロがその書簡の中でたびたび用いる言葉です。そして、何か良い行いをして人は救われるのではなく、ただイエスを信じる信仰によって救われる、罪から解放されるという真理を、明らかにしていくのです。しかしこのことは、律法の厳守を基としていた当時の人々には、衝撃的な教えでした。神様は、すべての人が救われることを願っておられます。この当たり前がすべての人々の人生の土台であり、このみ言葉を宣べ伝えることこそ、教会とキリスト者の使命であることを、もう一度心に留めましょう。

エペソ24-6

しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。

2012.5.13(皐月) NO.364 

春日部福音自由教会 山田豊

2012年5月 6日 (日)

派遣

2012.5.6(皐月) NO.363 

神による派遣 

 使徒131-12

使徒13章より、教会の宣教は、当時の地中海世界に広まっていった様子が描かれるようになります。中心となる教会は、弟子たちが初めて「キリスト者」と呼ばれたアンテオケの教会、そして宣教を中心的にになうのは、ダマスコ途上で改心したサウロことパウロです。

アンテオケには、人種や職業を超えていろいろな人たちが集まっていました。彼らが礼拝をしているとき、聖霊がバルナバとパウロを神様が召した働きに遣わすように言われました。彼らは断食と祈りを持ってこのことが神様から出ていることを確信し、二人の上に手を置いて公の働き人として送り出したのでした。神様は、ある人(たち)に、宣教の働きの重荷を与えます。それが神様からの召しかどうかを教会に確認させて、送り出すのです。二人は、いわばキリスト教会初の宣教師として、派遣されたのでした。その働きを通して、教会全体が福音を述べ伝える交わりに預かるのです。

ピリピ15 

あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。

彼らのこの働きは、今日では第1回伝道旅行と言われています。アンテオケから港町のセルキヤに下り、そこから船でキプロス島に渡りました。ここは、バルナバの故郷です。気心の知れる、主にある兄弟姉妹がいたことでしょう。サラミスでは、同胞のユダヤ人の会堂に行き、そこから伝道を始めました。主イエス様も、まずカペナウムの会堂でみことばを語ったことを思い起こさせます。

島の全体を巡った後、パポスに行きました。この町は中世イタリアの画家サンドロ・ボッティチェリによる絵「ヴィーナスの誕生」に描かれているように、美と愛の女神アフロディーが生まれたと言われる町です。いわば、ギリシャ、ローマ神話が伝えられている地であり、そこで偽預言者である占い師のバルイエスと出会ったのです。ここでは、パウロは彼の偽りを見抜き、バルイエスはしばらくの間盲目になってしまい、そのことを見た地方総督が信仰に入ったと、書かれています。

福音を述べ伝えることは、いつもその地方にある文化や宗教との出会いです。かつて日本の宣教は、日本の文化や伝統、宗教的営みを頭から否定するものだったと思います。今日では、宣教地の文化や伝統を大切にしつつ、聖書に照らして良きものを受け止めつつ、みことばを語ることが必要であると考えられています。一人一人のキリスト者は、主の証し人として主イエス様から遣わされているのです。

ヨハネ2021 

イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」

2012年4月29日 (日)

苦しいときの神頼み?

苦難の中の祈り  使徒12112

2012.4.12(卯月)NO.362

「苦しいときの神頼み」という言葉があります。これは悪い意味では無いと思います。困難なときほど神様により頼む、自分の力で何とかしようというのではなく、神様への完全な信頼を促す言葉であると思います。

使徒12章は、バルナバとサウロが飢饉に襲われたエルサレム教会に派遣され、その任務を終えて帰ってくる合間の出来事として書かれています。これは時間的な流れに沿ったことというより、13章以降の記述はアンテオケ教会から派遣されたパウロたちによるものとなるので、これまで中心地であったエルサレム教会やペテロたちの働きを一区切りつけるためだと思われます。

1節のヘロデ王というのは、イエス誕生の時代にユダヤの王であったヘロデ大王の孫に当たる、ヘロデアグリッパ1世のことです。その子供のアグリッパ2世は、後にパウロの弁明を聞くこととなります(使徒2526)。彼は祖父から受け継いだ政治的領土を拡大しており、ユダヤ人の関心を買うことに成功し、首尾良くユダヤを治めていたようです。ユダヤ人にとっては、新しい勢力としての教会の人たちは苦々しい存在でした。ヘロデと考えが一致していたのでしょう。そのため、ヘロデは使徒の一人であるヤコブを殺害し、さらにペテロをも捕らえ、自らの地位を安定したものにしようとしたのです(13)

牢獄に留置かれたペテロは、厳重に監視されていました。しかし主の使いによって奇跡的に解放され、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家に戻ることができたのです(412)

私たちも苦しみや試練に遭うことがあります。しかし神様は、そのような中でも脱出の道、解放の道を備えてくださっているのです(1コリント1013)

あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

このとき、教会は熱心に祈っていました。兄弟姉妹が共に集まり、祈りをしていたのです。どのようなかたちで祈っていたのかは定かでありませんが、ペテロの救出や、教会への迫害から逃れることができるようにとの、願いであったでしょう。しかしそれ以上に、彼らは神様との交わりをより親しく求め、主のみこころがなることを祈っていたのだと思います。祈りは、苦しみを取り除くための方法や、願っていることを叶えるおまじないではないのです。父なる神様に心から信頼する、それが苦難の中の祈りであり、その結果が堂であれ神様にゆだねる信仰が大切なのです。

ピリピ46 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

2012年4月22日 (日)

お墓とは?

死から命へ  1コリント1515

2012.4.22(卯月) NO.361 

人は死ぬと、墓に葬られます。人間にとって、あなたにとって、墓とは何でしょうか?

聖書の語る最も大切なことは、イエスキリストの死と復活です。もちろんイエス様の処女マリアからの誕生も大切なことですが、それは自明のこととしてこの箇所には書かれてありません。

イエス様の葬りは、当時の習慣に倣ったものでした。岩をくりぬいた新しい墓穴に、亜麻布で巻かれて香油を塗られ葬られたのでした。ローマ兵が番のために置かれ、穴をふさぐ墓石は封印されるという、厳重なものでした。確かにイエスは死に、葬られたのです。このことは、大切です。

しかしそのイエスは、復活されました。イエスの死後、イエスと出会った人が大勢おり、このコリント人への手紙が書かれた頃には生き証人がまだいたのです。からの墓は、必ずしも復活のしるしとは言えませんが、死んで確かに葬られた人とその後で出会った人がいたと言うことは、復活が実際に起こったことを示す最も強力なしるしです。

このことは、私たちに何を語っているのでしょうか?もともとお墓は、亡くなった人を供養する目印でした。時代にがたつに従って、その目印としての墓は朽ちない石などになり、家柄を重んじるころになると、だんだん立派なものになっていきました。日本人には、亡くなった愛する者と再び会いたいという思いがあるとともに、死んだ人が生き返ったりよみがえったりすることを恐れたり、忌み嫌うという思いを持っています。いわば、復活を否定する精神的な背景があると言うことでしょう。亡くなった方をなだめるための儀式や、副葬品を入れるのは、その表れです。

キリスト者にとっては、墓は故人を思う記念のところです。しかしそれだけではなく、その方と再び会うことを希望として思い起こす場所です。復活は、恐ろしいことや忌み嫌うことではなく、希望であり慰めなのです。その初穂として、イエスは死んで葬られ、3日目によみがえってくださったのです。

このことを信じるのは、子供のような素直な心から出てくることです。頑固な自分に死んでこそ、生きる道、いや神様に生かされる生涯が始まるのです。

アッシジのフランシスの平和の祈りにあるように。

「おのが身を捨てて死するがゆえに永遠の生命を得るものなればなり」

聖クララ会訳

キリスト者にとってお墓とは、献身を記念する場所でもあるのです。

ローマ121 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

2012年4月15日 (日)

空の鳥、野の花を見てみれば

心から求めるのは  マタイ62634

2012.4.15(卯月) NO.360  

今日も共に礼拝を捧げていますが、何を思いながらここに集っているでしょうか?私たちが日々求めているものは、何でしょうか?

自然災害や病気、家庭の経済など、私たちの身近には心配な事柄が至る所に起こっています。先週の木曜日、京都で起きた軽トラックによる暴走事故(事件?)は、被害に遭われた方にとっては理解しがたいまことに不条理な出来事です。ニュースを聞いていて、つらくなりました。このように、心配の種が尽きないのが、この世の営みです。

山上の説教でイエス様の語られたことを要約すれば、「心配するな」ということになると思います。他の日本語訳では「思いわずらう」となっています。たぶん人間ほど、心配性な生き物はいないのでしょう。イエス様は、空を飛ぶ鳥、野に咲く花を見て学びなさいと語っています。

28節には「野のユリ」と訳されていますが、イスラエルにおいて野の花はアネモネを指すようです。かつて教会の仲間とイスラエルツアーに行ったとき、現地ガイドの方がアネモネの花畑に案内してくれました。赤と白の小さな花でした。アネモネとはギリシャ語で風という意味です。羽を持つ種子が風に飛ばされるところからこの名がついたようですが、花言葉は「はかない夢」「薄れゆく希望」などで、30節にある言葉と重ね合わせると、いかに花の命が短くはかないものかを感じさせます。しかしそのような花を神様は養ってくださっているのですから、神のかたちに造られた人間である私たちを、神様は養ってくださらないはずがない、というのです。

そこで出てくるのが、33節のみ言葉になります。

マタイ633 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

「神の国」とは、神様の治める領域のことです。主の祈りにあるように、神様の御心を求めて生きなさい、ということでしょう。「その義」とは、イエス様の生涯によって表された神様の義、真実です。相対的なものではなく、絶対的なものであり、神様ご自身と言って良いでしょう。上杉謙信は「第一義」を掲げましたが、これは釈迦が悟った〝万物の真理〟を意味します。私の卒業した高校の講堂に大きな額に入って掲げられていた言葉でした。確かに良い言葉ですが、神の義は、イエスキリストのあがないよって保証されている、変わることのない真実です。そして、罪深く思い煩いやすい私たちを生かす言葉です。

ローマ326 それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。

イエスを信じて義と認められ、どんなに苦しいことがあっても私たちを養ってくださる方に信頼して、今週も歩んでいくことができるのです。

2012年4月 9日 (月)

復活祭の祈り

2012年4月8日

復活祭野外礼拝の祈り

憐れみ深い天の父なる神様

あなたの御名を賛美いたします。

昨年は、大きな震災の故に、痛みの中で復活祭を迎え、中央会堂にて礼拝を捧げました。今年はこのように、幼子からご高齢の方まで共に集い、いつものこの公園にて野外礼拝を捧げられますことに、心より感謝をいたします。

私どもは今なお、昨年の苦しみを覚えております。なによりも、主イエスもご自身もお苦しみになられたことでしょう。その主は、自らの命を捧げ、十字架の死と復活によって、私たちに父なる神様の愛を示してくださいました。本日の礼拝と午後のひとときを通して、私たちに復活の主の愛を、そして命を与えてください。またこの国にいる同胞、海外から寄留しているすべての人たちに祝福をお与えくださり、私たちが主の愛と復活の命の証人となって出て行けるよう、力を与えてください。

この礼拝と、本日の午後の営みのすべてを、神様におささげいたします。

主イエスキリストの御名によって、お祈りを致します。

2012年4月 1日 (日)

イエスのエルサレム入城は、涙であった

神の訪れの時  ルカ1941-46

2012.4.1(卯月) NO.359  

今週は、主イエスの最後の一週間である受難週です。その第1日は、イエスがロバの子に乗って都エルサレムに入る出来事です。人々は棕櫚の葉をもってホサナと叫びながら迎えたので、棕櫚の聖日とも言われています。熱狂してイエスを迎える民衆の姿がありました。ところが、同じ日の出来事でありながら、ここに描かれているイエス様は、泣いておられるのです。かつて友人のラザロが亡くなったという知らせを受けたとき、涙を流されたイエス様の姿を思い起こさせます。人々とは、ま逆の反応です。

なぜイエス様は、都を見て泣かれたのでしょうか?それは、人々はこの都の繁栄がいつまでも続き、弟子たちでさえ神殿の立派さに目を奪われたからでした。しかしイエスは、この都がやがて滅ぼされ、神殿も破壊されることを知っておられ、そのことに気付かないで今の繁栄がいつまでも続くと信じている人々を、あわれまれたのです。自分たちに滅びが迫っているのに、そのことに気がつかないでいることほど、愚かでかわいそうなことはありません。事実、エルサレムはその後ローマ軍によって侵略され、神殿は破壊され、ユダヤ人はまた離散の民となってしまいました。その後エルサレムの市街地は復興されましたが、いまだに神殿は再建されていないのです。

人々が平和と繁栄を誇っているときに滅びが襲う、これは悲劇的なことです。昨年の震災と原子力発電所の事故は、今見ているものが大丈夫である、永遠に不滅である、人々の平和を守ってくれると信じていたものが、大きな力の前にまったく無力であったことを示すものでした。

イエス様の涙のもとは、人々が神の訪れのときを知らないことによります。神の裁きのあることを知らず、あるいは無視して、好き勝手なことをしていることを悲しく思われているのです。誰かが訪ねてくるとわかっていれば、だれもがそれなりに備えをすることでしょう。神の訪れのときに備えるとは、キリスト者にとっては祈りと、愛による行動です(1ペテロ4:7)

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。

普段の備えとしては、新年度のみことばのように、神の国と神の義を求めて生きることです(マタイ6:33)

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

そして、イエス様が持っておられたあわれみの心をもってすごすことです。それは、父なる神様にならうことです(ルカ6:36,37)。あわれみの心がなければ、神の訪れのときに備える者とはいえません。

滅び行くものをいとおしむ心、それがあわれみです。受難週の中で、あなたの近くにいる苦しんでいる方にあわれみの心を具体的にあらわすことができたら、その方とともに主の苦しみにともに預かるという幸いを経験できるでしょう。

2012年3月18日 (日)

クリスチャンというのは、あだ名だった?

キリスト者とよばれる  使徒1119-30

 神様のことば、福音は次第に広まっていきました。それは迫害によって散らされた人たちによる、個人的な証しによるものでした。私たちも救いの経験を自分のストリートして語ることは、ポストモダンの時代における証しの方法です。

その人たちは、ユダヤ人にしか語りませんでしたが、アンテオケに来てからは、ギリシャ人にも語るようになり、大勢の人たちがイエス様を信じて主に立ち返ったのです。それまでも、異邦人にもみことばがつたえられコルネリオのような改心者がありましたが、アンテオケにおいて、みことばの宣教がさらに拡大していったのでした。

アンテオケは、当時のローマ世界において、第3番目の大都市であり、いろいろな人たちが行き来する国際的な街でもあったのです。人口は、50万人ほどであったといわれています。そこに教会が生まれたのです。エルサレムから遣わされたバルナバは、故郷のタルソに退いていたサウロ、言うまでもなく後のパウロですが、を連れてきて、さらにみことばをのべ伝え、弟子たちを教えました。

この町で、イエスを信じる人たちは初めて「キリスト者」と呼ばれました。今日で言う「クリスチャン」という名称が生まれたのです。しかし、これはあだ名でした。それまではほかの言い方でしたが、周りの人たちが彼らの生活を見て、彼らの知っている宗教やユダヤ教を信じている人たちとは違うことを感じたのです。この呼び方の言葉上の意味は、キリストに属する者、キリストに従う者というものです。しかしその本意は、古い自分が死んでキリストによって生かされることです(ガラテヤ220)

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

最初は侮蔑的な意味も込められている呼び方でしたが、次第に教会の人たちによってこの名称が定着し、今日に至るようになりました。

キリスト者とよばれるとは、キリストを中心とした交わりです。彼らは、ユダヤ人の会堂や家々を集会所としたことでしょう。聖餐式を守り、聖書を教え、祈りをしていました。次第にその集まりは組織化され、たまものに応じた働きが整えられてきました。そして何よりも、彼らはキリスト中心とした愛を分かち合う人たちでした(ヨハネ1335)

もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。

飢饉に苦しむエルサレム教会への献金や物資の支援は、その愛の表れだったのです。実際に、助け合う愛の交わりがあったのです。大きな震災を経験した私たちは、「キリスト者」と呼ばれることの意味を、改めて思い起こし、それにふさわしい者としての行動があることでしょう。

2012.3.18(弥生) NO.357 

春日部福音自由教会 山田豊

2012年3月12日 (月)

心の方向転換

2012.3.11(弥生) NO.356

命に至る悔い改め  使徒11118

 本日は、改めのお伝えするまでもなく、東日本大震災から丸1年目にあたる日です。昨年の今日、お互いにどこで何をしていたか、忘れることができないと思います。この日の出来事を境に、今なお大きな苦しみにある方々を忘れることなく、慎んでこの日を過ごし、さらなる復旧や復興に向けた新しい一日となることを祈っております。

異邦人も神の言葉を受けいれたという知らせが、エルサレムの教会にもたらされました。ところが、エルサレムに戻ったペテロは、割礼派のユダヤ人から、彼が割礼を受けていない異邦人とともに食事をしたということで、非難されました。彼らにとっては、神の言葉を受け入れたのであれば、たとい異邦人であっても自分たちと同じように割礼を受け律法を守るべきであり、ペテロに至っては、そうでない人たちと食事をするとはとんでもないことでした。

これに対して、ペテロは自分の経験したことを順序立てて話しました。彼が見た夢の話、百人隊長コルネリオとの出会い、そして彼らに聖霊が下り、回心のしるしとしてバプテスマを授けたことを語りました。これを聞いてい人々は納得し、「神はいのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになった!」と言って、神をほめたたえたのでした。

ここに至るまで、ユダヤ人、特に割礼派の人たちには過ちがありました。それは、神の言葉を受け入れたものは、どんな人でも自分たちと同じようにしなければならない、ということです。これは、恵みによる救いと律法(生活、文化、風習など)をどのように調和させるかという問題です。異邦人の回心者が多く与えられるようになり、エルサレムにおける教会会議で同じようなテーマが話し合われ解決をみます(使徒15)。しかし、月日がたつと、あのペテロがユダヤ人を恐れて異邦人から身を引く、というようなことが起き、この問題の複雑さを浮き彫りにしています(ガラテヤ2:1113)。これは、今日でも同様におきる問題です。

使徒の働きのキーワードの一つは「悔い改め」です。心の方向を転換し、神様に立ち返ることです。「回心」とも訳せます。単なる反省や、自虐的なって自分を責めることではありません。実際にその人の思いや生活に、変化がなければ悔いあらためとは言えないでしょう。少なくとも、悔い改めの実を結んでいるとは言えません。

311の出来事を通して、被災地の人たちだけでなく、私たちすべてがもう一度自らの生活を省み、自然の営みを造り保っておられる神様に立ち返ることがなければ、この日が命に至る記念日とはなりません。悔い改めは、神と人を愛する営みでもあるのです。ギリシャ語の悔い改めは「メタノイア」ですが、逆に読めば「・・・・・」となるではありませんか。

悔い改めはつらいことではありますが、私たちに命を与えてくれるのです。

2コリント7:10 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

より以前の記事一覧